
尺八の流派どころか、純邦楽という枠を超えた活動をして枠を破ろうとしていた頃の
山本邦山の他流試合を代表するアルバムです。1971年録音で、共演は
菊地雅章(p)、ゲイリー・ピーコック(wb)、村上寛 (dr) という、実力がありつつ保守ではなく革新派と言っていいジャズ・ミュージシャンたちでした。
この手のジャンル違いのコラボレーション作品って、ただ一緒にやって終わりとか、どちらかのジャンルの上で民族楽器を演奏するだけとか、そういうものが少なくないです。ライブでも、ただ一緒にやっただけという国際交流基金が喜んでお金を出しそうイベントっていっぱいあるけど、その時パッとやっておしまいで、先に何もつながってないものがけっこうあります。ところがこのアルバムは違いました。尺八の良さもジャズの良さも両方残したまま、どちらの音楽でもないものを完成させられているのではないかと思いました。
うまくいった最大の理由は、作曲のコンセプトにあったんじゃないかと。このアルバム、作曲はほとんど菊地雅章さんでしたが、このプーさんの作曲が尺八の音楽を十分に研究して、かつ尺八をリスペクトしたうえでされたように聴こえました。
このアルバム、「序」で始まって「終」で終わる組曲形式になっていたのですが、曲ごとにジャズと邦楽の関係のさせ方というか距離というか、こういう所に挑戦がありました。ほら、完全にニュージャズの上で尺八を演奏してもらっちゃうのかとか、バロック時代の協奏曲みたいに互いの演奏パートを分けてしまうのかとか、どうすれば一番うまく行くのかって、あるじゃないですか。尺八とジャズなんて、まだ誰も深く取り組んだことがなかっただろうから、答えなんてまだ出てなかったと思うんですよね。そこをプーさんは本気で考えて、いろんな距離間でのコラボレーションをテストしたのだと思います。
中でも
一番うまく行ったように聴こえるのが、アルバムタイトルにもなった「銀界」に聴こえました。この曲、互いの演奏パートを分けるという武満徹「ノーヴェンバー・ステップス」に近い方針。尺八のような独特な発音をする楽器は、たしかにこういう方法を取った方が殺してしまわずにいんだろうな、と思いました。制作年代的にも、プーさんだって「ノーヴェンバー・ステップス」は先例として研究していたと思うんですよね。色々と批判も受ける曲ですが、僕はあれはタイム感もブレスも違うこういうコラボレーションを確実に成功させることのできる素晴らしい形式だと思います。
このアルバムが意義深かったのも、山本邦山さんが人間国宝級の尺八奏者であった事にもあると思います。これが民謡尺八や我流のプレイヤーだったら、ここまで意味あるアルバムにはなれなかったんじゃないかと。それは音楽的にもそうで、やっぱり邦山さんの演奏は素晴らしんだな、とあらためて思った僕でした。でもやっぱり都山流の本曲やってる演奏の方が好きですけどね(^^;)。
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