
ビクターが出した
ポリネシア音楽のCD第3集は、イースター島とマルケサス諸島。子どもの頃、世界七不思議みたいな話が大好きだったこともあって、イースター島の音楽というだけで即買い ( ̄ー ̄)。
イースター島はポリネシアの大三角形の東端の島で、モアイ像しか僕は知りません。国としては一応チリ領なのかな?マルケサス諸島に至っては、名前しか知らず他は何にも知りません(T_T)。
マルケサス諸島の位置は大三角形の北の頂点であるハワイ諸島とイースター島を直線で結んだちょうど中間、ソシエテ諸島の北東ぐらいにありました。Wikiで調べたら…ほとんど何にも書いてない。。
18世紀にポリネシアを占領しようと送り込まれたヨーロッパの宣教師が相次いで食べられたのもこのへんだそうで。最近だと、2011年にドイツの観光客が人に食われたヌクヒバ島は、マルケサス諸島のひとつだそうです。うわあ、このCD、命がけの録音だったんじゃないかい(^^;)?
イースター島の音楽は、合唱音楽でした。打楽器やウクレレの伴奏がつくものもありましたが、ポリネシアン・ダンスの伴奏みたいな強烈な奴じゃなくて、拍子をとっている程度。比較的大編成のものと、少人数の合唱がありましたが、大編成の方は
タヒチのヒメネ・ターラヴァによく似たポリフォニー!いやあ、こういう音楽が同時発生するとは思えないし、距離が近いので、きっとタヒチから渡ってきたんでしょうね。イースター島は他の島々から離れているとはいえ、その中ではソシエテ諸島は近いしなあ。少人数の打楽器で表紙を取りながら歌ってましたが、これも最低でも和声合唱、ものによっては反行などを含むポリフォニーでした。
マルケサス諸島の音楽は、大まかにふたつに分かれました。ひとつは、
ボディ・パーカッション(自分の体を手でたたいて音を出す)でリズムを取りながらの勇壮な声の音楽。これがめちゃくちゃカッコいい!!ノリとしてはオセアニア一帯の戦闘舞踊や、祭儀用の音楽あたりに近いものを感じました。この好戦的で、ある種影のある音楽は、この島々の歴史に関係があるんだろうな…。島の歴史に関しては、あとで書きます。もうひとつの種類は、イースター島の小編成ポリフォニー声楽にそっくり。どちらが先か分かりませんが、一方から一方に伝わったんでしょうね。
周辺の島々の音楽との関連を強く感じたので、島の歴史が気になりました。このCDのライナーに書いてあった
イースター島の歴史をざっくり紹介すると…①マルケサス諸島にあったといわれるヒヴァの国から逃げてきたホツ・マツア王が始祖で、年代は5~13世紀。ちなみに、この王様を讃える歌がこのCDの1曲目に入ってます。②王の死後、
長耳族が島に侵入し、王たちの一族である短耳族を支配。長耳族は食人の習慣があって短耳族を食い荒らし、さらにモアイ像を作る。18世紀のオランダのある提督は、長耳族がモアイを礼拝している所を見ている。③頭にきた
短耳族、長耳族に怒りの反撃!長耳族を滅ぼしたうえ、モアイを片っ端からなぎ倒す。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いですな(^^;)。④1862年、
ペルーの奴隷狩りにあい、ついでに天然痘まで持ち込まれて島の人口が100人に激減。白人のやる事はむごい…。⑤1868年、なぜかペルーではなくチリに併合される。

一方、イースター島のルーツとなった
マルケサス諸島の歴史。これは、WikiよりもこのCDのライナーの方が詳しかった!これだけでもこのCDを買った甲斐があったよお母さん。①
サモアやトンガという西ポリネシアから人が来たのがはじまり。その人たちが、ヌウヒヴァ(ヒヴァの国)を作り上げる。②1595年、スペインに諸島が発見される。この探検航海のスポンサーだったのはペルー総督メンドーサ。その奥さんの名前がマルケサスだったことから、マルケサス諸島という名がついた。③18世紀、アメリカ捕鯨船の基地となり、奴隷狩りや暴行虐殺、さらに白人が持ち込んだ天然痘で先住民族が激減。白人はむごい。④1842年、フランス領になる。でも、その直前の歴史を見るに、ガンガン食人してやれと応援したくなるのは私だけでしょうか?
う~ん、音楽の裏に歴史ありですね、歴史がそのまま音楽に反映されてるじゃありませんか。僕にとっての民族音楽を聴く楽しみのひとつは、歴史や異文化を肌で感じられる所ですが、これはなかなかすごかったです。でも、そこで
滅ぼされずに勇壮な歌を残すところが、マルケサスの人たちはすごい!ポリネシアの歴史を感じるCDでした!
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