
アルト・サックスの阿部薫の
「ライヴ・アット・騒」シリーズ第9集は、1978年7月7日のパフォーマンスのセカンド・セットが収められていました。お、七夕ですね。
七夕に狭いジャズバーでフリージャズを聴いたり演ったりする青春って、ちょっといいなあ。大学生にもなってアイドルを追いかけたりSNSで人を叩いたりしている精神年齢の低すぎる青年には見習ってほしい青春だよ(^^)。使用楽器はアルト・サックスのみ、使っているメロディは「恋人よ我に帰れ」でした。
38分一本勝負の長尺のサックス独奏でした。「恋人よ我に帰れ」といっても、曲のコード・プログレッションを使うわけでもヴァリエーションしていくわけでもなく、演奏の一部にメロディがチョロっと出てくる程度なので、ほぼインプロヴィゼーションと言っていいと思います。曲というなら、他の曲のメロディも出てきていましたしね(^^)。
この日の演奏は自由自在、気の向くままにどんどん変わっていきました。
Vol.2のピアノ即興や
Vol.4のファーストセットあたりでは明確な一貫性というか、その演奏のテーマのようなものを感じましたが、この演奏は自由、右に行ったり左に行ったり(^^)。でも自由というのはきっと難しいんですね、聴いていて「あ、ここからどうするのかな?」という所がけっこう出てくるんです。もし即興に慣れてない僕なんかが演奏していたら、そういう所で終わってしまいそうなのに、さすが百戦錬磨、「あ~なるほどこう繋ぐのか」みたいに見事に音を繋げていきます。もしかすると、そんな事すら考えずに、本当にのびのび自由に吹いているだけなのかも知れません。サックスのインプロヴィゼーションって、「何を考え、感じていま演奏しているのか」というのを、ずっと追跡して聴いてしまう時があります。そうやって聴いていると、阿部さんの場合は、常に「俺」というものへの問いかけがあるような気がしてくるんですよね。「恋人よ我に帰れ」メロディを演奏するのでもすごくエスプレッシーヴォにやったりするんですが、その感情の入れ方の裏に「俺」がある気がしてくるし、メロディが切れて次にスッと移っていく所でも、外連味たっぷりになる所でも、もっと軽やかに素直に歌っている所でも、
音楽の構造的な美とかそういう所はまったく見ていなくて、常に「俺」みたいな。ついでに、音楽を構成していく勉強はまったく出来ていなくて、だからエモーショナルで私的な表現に行くしかないのも「俺」みたいな。そういう所が、暗くまじめに考えてきた青春に聴こえていました。
若い頃に阿部薫さんを聴き漁っていたことがありまして、うちには20枚ぐらいの阿部さんのCDが転がっています。分からない部分があって、そこに神秘的なものを感じていたり、あるいはそういう苦悩する「俺」みたいな青春を生きている人にどこかで共鳴したりといった具合で、音楽として純然に引きつけられて聴いていたのとは少し違っていた気がします。
いま聴いて思うのは、若い頃は分からない部分に惹きつけられてましたが、今はそれが分かってしまうようで、魔法が解けた気分。
こういう音楽って、大学生の頃とか、本気で人生を真面目に考えて結論を出さなきゃいけない時にぜひとも聞いておくべき素晴らしい音楽と思うんですが、いざ決意して踏み出した後は、もう卒業なのかも知れません。有島哲郎や太宰治の小説みたいなもんですね。つらく悩み続けた自分の青春時代を支えてくれて、本当にありがとうございました。
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