クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団演奏のラヴェル管弦楽曲「ラ・ヴァルス」の感想文で、ブログ友達の方から書き込みをいただきました。いわく、
クラシックはごく一部だけが好きで、その一部というのがストラビンスキー、ドビュッシー、ラベルの3人なのだそうです。これは痛いほどよく分かるご意見で、僕もその3人にバルトークを加えたあたりが大好きでした。
また、その書き込みで「この3人にどういう共通項があるのか」「(普通のクラシックのワルツは)退屈で聴いていられない」「ペトルーシュカなどのようなバレエ音楽は異端なのか」等々のご質問をいただきましたので、これら全部をひとくくりにしてご返答させていただきます。題して、「クラシックは近代音楽から入ると面白い!」
以下、コメント欄に書いた返答に少しだけ手直しを入れ、記載させていただきます。
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ストラヴィンスキー、ドビュッシー、ラヴェルは僕も大好きです!僕もクラシックの作品で最初に好きになったのはそのあたりで、そこから趣味が徐々に広がっていきました。その3人は、20世紀初頭のクラシックで「近代音楽」という範囲に入り、音大の音楽史の授業では「ロマン派以降、現代音楽への過渡期」みたいな定義もされていました。
(*補筆:クラシックは厳密には古典、ロマン派、新古典のことを指す言葉で、それ以前のバロックやルネサンスはクラシックではなく古楽扱い。現代音楽もクラシックに入りません。微妙なのが近代音楽で、これは「ものによる」と学生の頃は習ったのですが、今はどういう定義になっているのかは僕では分かりません。学生の頃の定義的には、印象派はギリでセーフ、でも音列主義は現代音楽に含める、ぐらいに自分では思っていました。)
■近代音楽はなぜ耳なじみが良いのか ○○さんの趣味から考えた3者の共通項と言えばジャズではないでしょうか。
同じ理屈でその音が使われていたとは限らないのですが、ジャズ和声で言う所の9,11,13といったテンションなどが平然と出てきますので、質感がジャズに近いんですよね。ジャズ・ピアノでは
ビル・エヴァンスや
マッコイ・タイナーや
ハンコックあたりから4度堆積和音を使う事が増えましたが、これはフランス近代音楽のなかの印象派と言われる一派の和声の特徴で、ドビュッシーやラヴェルはその創出者です。細かくいえば、フォーレ晩年の作品など、それ以前にも先駆者がいます。
■クラシックの舞曲の位置づけ ワルツを含む舞曲については…ざっくりいうと、
組曲形式のクラシックの音楽は、どこかに舞曲を挟むことが多いです。これはソナタも同じです。理由は音楽面だけでなく、依頼主が貴族であったから。ハイドンやモーツァルトの交響曲など、貴族社会が強かった時代になればなるほどそういう曲がどこかに入っていて、優雅に踊れるようにという事だけを目標にして作曲したんじゃないかと思えるほどに無個性です。逆に、宗教性が強い作曲家になると舞曲は影を潜めます。バロックで言うと、
ヘンデルは舞曲がいっぱい、でも教会務めの
バッハは舞曲が少ない、みたいな。クラシックに出てくるワルツを含めた舞曲の多くが貴族趣味的な退屈さに溢れているのは、そういう理由があるのだと思います…僕の勝手な推測ですけど(^^;)。

舞曲系の音楽が面白くなってくるのは、ロシア・バレ団が全盛を迎えてからのこと。踊る人が貴族ではなくバレリーナになり、しかも演目の目的が貴族の社交場ではなく芸術作品の提示なので、面白くなって当然ですよね(^^)。「ラ・ヴァルス」も、ご指摘のストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」も、どちらもたしかロシア・バレエ団委嘱作のはずで、両者の共通項はここにあります。「ラ・ヴァルス」は「音楽として」ではなく「バレエ音楽として」当時にしては新しすぎたのでしょう。もう少しコンテンポラリーな舞踊団なら、喜んで使ったかもしれません。誤解を受けないように言うと、当時のロシア・バレエ団が保守だったわけではなく、むしろ相当な革新派だったと思います。
■結論! 近代音楽以前のクラシックとなると、ドミソ和音が中心でテンションはなく、ようなくワーグナーやR.シュトラウスあたりでディミニッシュやダブルドミナントが出てくるぐらいなので、音が退屈に感じます。逆に、これ以降の
現代音楽になると、音列主義や無調がメインストリームになり、今の西洋軽音楽の調感覚や和声感覚から離れます。だから、慣習的に音楽を判断するタイプの人だと(例えば、ジャズやタンゴやフランス軽音楽などの戦後の西洋軽音楽に馴染んだ耳にとって)、感覚的にも理解できないという意味で結構きついかもしれません。そう考えると、近代音楽が退屈すぎず難しすぎない絶妙な位置にあるのかも知れませんね(^^)。
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