
今日は長く続いた仕事が終わって清らかな気分だぞ、
バッハの宗教曲でも聴こうかな(*゚∀゚)。バッハの合唱宗教曲というといつも
ミサ曲ロ短調ばかり聴いてしまうので、今日はヨハネ受難曲にしよう!
大バッハが書いた宗教的声楽曲で有名なものは、ヨハネ受難曲、
マタイ受難曲、ミサ曲ロ短調の3つです。そのうちのヨハネ受難曲は、新約聖書のヨハネ福音書の一部を声楽化したものなので、
ロ短調ミサに比べるとレチタティーヴォで語られる部分が多いです。そして長大、このCDだと全部で2時間12分ぐらい。「軽くBGMでも…」なんて気分で太刀打ちできるようなもんじゃありません。
ヨハネ福音書といえば冒頭の「最初に言葉があった。言葉は神とともにあった」が有名ですが、この曲ではそこは使われず、使われるのは18~19章とかなり終盤。ユダが裏切ってキリストを待ち伏せ、最後にキリストが十字架にかけられてkillされるあたりです。キリスト教の影響が強大だった時代に、聖書に音楽をつけるんだから、大バッハぐらいの人じゃないととても引き受けられませんよねえ。まあそういう曲だしレチタティーヴォも多いので、聴いていると音楽よりストーリーを追ってしまいます。ドイツ語が分からない僕は、日本語訳を必死に追うばかりなんですけどね(^^;)。そして…いや~もうこのクラスの作品となると、一個人の作曲家の作品なんてもんじゃなくって、西洋の重要な文化遺産じゃないかという感じ。好きとか嫌いとか、そういう次元じゃないです。それでもあえて音楽を取りあげるなら、
第1部の「否認」の3曲目レチタティーヴォ「この弟子は祭司の知人なれば」がメッチャいいです。これ、他でも聴いた事がある気がするんですが、バッハのほかの曲からの引用なのかな…。いずれにしても、素晴らしい曲だと思います。
演奏です。バッハ演奏といえば真っ先に名のあがる指揮者/オルガン奏者のリヒターさんが棒で、演奏はミュンヘン・バッハ管弦楽団。これもリヒターさんが作った楽団。文句のつけようがない演奏です。そして、エルンスト・ヘフリガーというエヴァンゲリストのテノールがすごい!この歌唱は一聴の価値ありかも。そしてちょっと驚いたのが、合唱と楽器のバランスの良さ、録音の良さです。昔、ヨハネ受難曲の録音といえばこのCDで、町の小さなレコード店にもこれが置いてあるほどでしたが、録音が1964年と古めなんです。だから、「いい演奏なんだろうけど、音は良くないんだろうなあ」と思ってたんですが、めっちゃいい音で驚きました。日本語訳や解説の詳細さを含め、このCDにまったく不満がないので、僕にとってのヨハネ受難曲はこれなんですよね(^^)。
実は僕、若いときにこのCDの良さが分からなかったんですが、それってキリスト教の知識がなさ過ぎたかだったのかも。というわけで、ヨハネ受難曲を楽しむための豆知識をちょっと書いておきますね。聖書というのは、ひとつの物語が最初から最後まで書いてあるわけじゃなくって、色んな本が集まって出来てます。
キリスト教の聖書は新約聖書で、27巻。その冒頭4巻は、福音書というイエス・キリストの生涯を描いた物語で、ヨハネ福音書はその中の1冊です。福音書は4つ読むとひとつの物語になるわけじゃなくって、それぞれキリストの生涯を書いてるんですが、書き手の違いで4つに分かれてます。
ヨハネ以外は、マタイ・マルコ・ルカの3冊で、この3つは内容が似ているので共観福音書なんて呼ばれてます。ちなみに
聖書の最終巻は、オカルト映画でよく取りあげられるヨハネの黙示録です。
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