
ひとつ前の日記で
ブレイクの絵画の本の感想を書きましたが、ブレイクは詩人としての方が有名かも。
この本は、ブレイクの詩集のうち、「無心の歌」「経験の歌」「天国と地獄との結婚」が収録されていました。どれもキリスト教的世界観が強い詩なので、ブレイクさん初体験の方は、絵画から入った方が受け入れやすいかも…って、僕がそうだったというだけですね(^^;)>。
言葉そのものは、ランボーやマラルメのように難解なわけではなく、むしろ分かりやすいです。そして、その分かりやすい言葉で語られている事の真意は、ど直球で核心に迫ってるんじゃないかと感じました。人間にとって一番重要なものってなんなの、というものを真正面から問うて、かつブレイクさん自身の答えを書いてるのが、ブレイクさんの詩なんじゃないかと。全部で50篇ほどの詩からなる「無心の歌」と「経験の歌」は、たぶん別の詩集として読んではいけなくて、対になっているのだと思います。「無心の歌」は感じたものを言っていて、「経験の歌」は考えた結果にたどり着くものを言っているのでしょう。
そして、理解にはキリスト教への理解が必要と思いました。いや、キリスト教どころか、カバラなんかの霊的体験を扱った一神教世界全体への理解がないと、本当には理解できないのかも。分かりやすい例でいえば、「仔羊よ、誰がお前を創ったの」みたいな一節があるんですが、言葉通りの意味は分かりますが、実際に言おうとしている事はぜんぜん違う意味ですよね。で、もし仮にキリスト教での「仔羊」が象徴しているものを知らなかった場合、これはもう理解不能、みたいな。まあ、これは単純な例なのですが。
で、解題のヒントはヴィジョンなんじゃないかと。モーゼにしてもイエスにしてもムハンマドにしても、神や天使と出会って会話する霊的体験があるじゃないですか。今の日本だと、そんな事いったら「心療内科へ行け!」ってなもんでしょうが(゚∀゚*)、一神教世界ではそこってものすごく重要ですよね。ましてグノーシスやカバラなんかの密教系になったら、そこは重要どころか核心なのかも。この「ヴィジョン」というものを理解できてないと、ブレイクの詩は理解不能と思いました。対になっている
「無心の歌」と「経験の歌」は、恐らく前者がその手の宗教体験を指摘していて、後者が科学時代に突入していた19世紀的な世界観から曲がってしまった宗教観を示したものと思います。で、両者が同時に理解出来た瞬間に体験できるのがヴィジョン。それを詩というよりも、散文か寓話のような形で指摘した詩集が「天国と地獄との結婚」なんじゃないかと。その終盤の一節を抜き出してみます。
悪魔は答えていった。「(中略)イエスは完全な徳をそなえた人であった。そして戒律によってではなく、衝動によって行為したのだ」と。悪魔がかく言った時、私は見た、天使が両手をさしのべて火焔を抱いたのを、そして、燃えつくされ、エライヂャーとして復活したのを。 ブレイクって、もしかすると本当にヴィジョン体験があった人かも知れなくて、それが何であるかを表現しようとした人だったのかも。そこを指摘しているという意味で、とても宗教的/哲学的な詩集と思いました。あ、そうそう、ちなみに、エライヂャーというのは、火の車に乗って昇天したと言われる預言者だそうです。
営業マンは営業だけ、建設業の人は建設だけみたいに、ひとつの専門だけに従事することの多い今の世界と違って、昔の西洋のアーティストは色々な事をやるのが珍しくありませんでした。ダ・ヴィンチもヴィヴァルディも、中世以降の西洋の文化人はみんな専門家ではなくリベラルアーツを目指していたように思います。ブレイクもそうで、銅版画家や詩人というだけの専門家ではなく、人間とか世界を全部ひっくるめて扱っていた人なんじゃないかと。19世紀の西ヨーロッパの思潮の上にある詩なので、今の日本に生きている僕には分かりにくい所もありましたが、それでもブレイクさんが伝えようとしている事は、読んで楽しかったとかつまらなかったとか、そういうレベルのものではなく、人間にとって普遍のテーマに切り込んだものなんじゃないか。若い頃に読んだ時はファンタジーかと思いましたが、宗教学やなんかをちょっと通過した後に読むと見え方が全然変わって、なんとも深い詩集でした(^^)。
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