バルトークの弦カルのCDをバラで集めた若い頃の僕は、この5~6番だけなかなか聴けなかったんです。中古盤で見つからなくて(^^;)>。結局、この5~6番はアルバン・ベルク・カルテットじゃなくてケラー・カルテットの全曲入りCDで先に聴き、その音のあまりの細さに「うわ、これはダメだ」となり(演奏じゃなく録音?)、次々に他の弦カルの演奏も聴いたけどみんなダメ。最後にようやくアルバン・ベルク・カルテットのCDを手に入れた時に、「うわあ、全然いいわ。演奏や録音って本当に大事だなあ、同じ曲なのにここまで違って聴こえるんだから」と思って、他の弦カルのバルトーク弦楽四重奏曲を全部売ったのでした(^^)。馬鹿テク全盛となった今なら、いい演奏でいい録音のレコードも色々あるのかも知れません。
第5番は1934年の作曲で、無調で難解と言っても良さそうな3~4番と比べると、調や新古典的な作風を感じます。世紀の傑作
「弦楽器・打楽器・チェレスタのための音楽」が1936年なので、いちばんバルトークのパブリック・イメージに近い弦カル曲かも。たしかに楽式的には「古典」的で、1楽章はソナタ、2楽章は3部形式、、3楽章はスケルツォ、最終5楽章はほぼロンド。でも、和声や旋法が
ハイドンや
モーツァルトのころとは比較にならないほど豊かで多様で、全音階を使ったり、色々やってます。ある時期は、僕はこの5番がすごく好きだったんですが、いま聴くと、全体としてはこの古典主義な構造が安定しすぎて面白みに欠けると感じたのは意外。あんなに好きだったのに、こういう事を感じるようになったりするんだな。。
第6番は1939年の作。これがけっこう重要な意味を持っていて、要するに第2次世界大戦まっただ中、ヨーロッパ全土がナチに蹂躙されまくっていた時期です。この時バルトークはまだアメリカに亡命してないですが、悲壮感を持っていたのは確かじゃないかと。狙ったものであったかどうかは分かりませんが、それが曲想に出たかのようなもの悲しさでした。第1楽章の冒頭、無伴奏でヴィオラによる悲しげなメロディが提示されますが、これが4楽章すべてにあらわれます。あくまで僕の感想なんですが、
バルトークの他の弦楽四重奏曲は構造とサウンドを同時に聴いている自分がいるんですが、この曲だけは「ドイツの世紀末音楽みたいだな」と、印象と意味を聴いてしまいます。つまり、純音楽ではなく、標題音楽かロマン派音楽のように聴いてしまうんですよね。。戦時下で殺される側にいる人の心情というか、そういうものを感じてしまうというか。
バルトークは時代によって作風が変わっていった人ですが、6曲の弦楽四重奏曲は創作期間が1908年(バルトーク27歳)から1939年(58歳)と長期にわたっているので、バルトークの作風の変化が分かる貴重さも持った6曲です。この輝かしい6曲は、近現代の音楽を代表する大名曲のひとつ、そして多くの作曲家がトライし続けた難易度マックスの編成である弦楽四重奏曲のトップクラスに位置する大名曲だと確信しています!
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