
原作者の土屋ガロンさんは、狩撫麻礼さんの別のペンネーム。
『迷走王ボーダー』と
『ハード&ルーズ』が愛読書だった僕は、狩撫麻礼さんの漫画を見つけるたびに買って読んでいたのですが、別名で書かれると分からん。この漫画が狩撫麻礼さんの本だと知ったのは最近で、慌てて読んだのでした(^^)。サイコ・サスペンスな映画の原作だったんですね。
東京の下町出身のある男が、まったく身に覚えがないまま10年間も監禁生活を強いられます。そして10年が経過したのち、突然解放されます。男は自分を監禁した人物が誰かを探り、また監禁犯も男に接触してきます。そして、なぜ10年も監禁したのか、その理由をめぐって男と監禁犯の間で駆け引きが始まります。
犯人は誰なのか、またなぜ監禁したのか。ここはサスペンス・タッチに描かれていて漫画的に面白かったです。でも
この話の主旨はサスペンスではなく、犯人の犯行動機の裏にあるアウトサイダーの問題なのだと思いました。実際、この漫画の中にも「アウトサイダー」という言葉が出てきていましたし、狩撫麻礼さんはコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』を読んでいて、自分の苦しみはこれなのだ、と思っていた人なんじゃないかと。
ただ、アウトサイダーがどういう問題なのかという点については、狩撫さんは自分の中で上手く整理できていなかったのではないかと感じました。『迷走王ボーダー』も『ハード&ルーズ』も、それがテーマでありながら、またそれでは駄目だと強く感じながら、ではどうすればいいのかは見えず、間接的あるいは詩的な表現でしかそれを言い当てられないんですよね。『ハード&ルーズ』だと、夢の中に暴れ馬が出てきて幻視するとか、どうしてもそういう表現になっちゃう。この漫画の場合、犯人が「
お前さえいなければ、俺は社会的な成功をおさめる事で人生に納得することが出来た。しかし、お前が俺のある一面を看過したことで、それで納得する事が俺は出来なくなってしまった」と感じたという、非常にまわりくどい表現になっていました。
アウトサイダー問題は、要するに20世紀の実存主義を分かりやすく再解釈したもので、それについて回ったペシミズムの問題の超克にあるのだと思います。狩撫麻礼さんもアウトサイダーであって、でもその解決策が見えないまま作家という人生を歩むことになったんじゃないかと。物語であれば、アウトサイダーについて回るペシミズムの解決策を提示する必要はなく、その物語を書けばいいんですものね。
ちなみに、この漫画と似たような物語を狩撫さんは既に書いています。アウトサイダーとそれに敵対するものの対決という物語は、要するに現状の社会通念と「より正しいだろうあり方」というふたつの論理のアウフヘーベンであって、これは『ボーダー』の中の超金持ちとの対決そのもの。唱歌「花の街」が幼少時のアイデンティティとなり、その歌の中で自殺していくというプロットは、『ハード&ルーズ』の中にまったく同じ形で登場しています。つまり、過去作品の焼き直し。『リバースエッジ 大川端探偵社』も過去作品の焼き直しでしたが、どこかで狩撫さんは挑戦を諦めて、職業的な漫画原作者になったのかも知れません。この漫画も全巻読むほど面白かったですが、やっぱり狩撫さんは『ハード&ルーズ』と『ボーダー』がベストだなあ。そうそう、この感想がチンプンカンプンな人は、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』や『宗教とアウトサイダー』あたりを読んだらちょっと分かるかも(^^)。
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