
1967年、シャンソン歌手の
バルバラがボビノ座で行ったライブの録音です。
バルバラの素晴らしいところは、作詞・作曲・ピアノを自分で演奏している事。ピアノはコードを押えたりアルペジオしたりするぐらいですが、それでも
エディット・ピアフやジュリエット・グレコが作家の書いた曲を歌う歌い手だったのに対して、バルバラはアーティストぎみ。「ぎみ」というのは、フランスのシャンソンって、ムスタキとかゲンスブールとかジョルジュ・ブラッサンスみたいにかなり思想を持った作家が作詞や作曲を受け持ってるものもあって、あっちはガチ系というジャンル分けに僕の中ではなってるんですが、バルバラは自作自演ながらそこまでマニアックにならず、歌と作曲と思想(=作詩)のバランスがいい感じ。アーティストというよりシンガーで詩人という感じなんですよね。
このライブアルバムは楽器編成もいいです。バルバラが歌とピアノ、あとはアコーディオンにコントラバス。この楽器編成だけでもおいしい大人の音楽が聴けそうじゃないですか。聴けるんです(^^)。そしてヴォーカルがいいです。戦後しばらくのシャンソンって、けっこうレチタティーヴォっぽい所があるじゃないですか、あれが素晴らしい。レチタティーヴォがグッとくるシャンソン歌手って、僕的にはジュリエット・グレコとバルバラです。
ライブ全体は物語を語るように歌うレチタティーヴォ気味の歌唱がど真ん中、これ自体はいいんですが、楽曲のアレンジが雑で、特に目立ったイントロも間奏も後奏もないまま次々に演奏されてしまうのがちょっと残念。古いシャンソンってこういうスタイルのものもありますが、でもちょっと前のバルバラのスタジオアルバムを聴くと、小編成でも綺麗にアレンジしてあるもんで。音楽というよりまるで舞台を見ているみたいという意味では良いアルバムですが、僕にとってのバルバラの傑作はフィリップスから出た初期のスタジオ録音かな?いやでも、これもいいレコードだなあ。
今でこそ歌手ってポップスもロックも「多少アタマが弱くても歌がうまきゃいい、顔が良ければいい」みたいになってしまった気がしますが、僕的には、歌い手さんには知的であってほしいのです。尊敬できる人の言葉だから、胸の奥にまで届くのだと思うのです。
人間関係って、相手に対して尊敬の念がないと成立しないらしいですが、それって歌を聴く時にも同じことが言えると思うんです。唄ってる人があんまりアレだと「そんな事も知らないんだったら正しい判断なんて出来ないんじゃないの?そんな人が言う言葉に説得力なんてないし、だから愛だ恋だしか歌えないんじゃない?」と思っちゃったりして。日本は今も女性にやさしさや愛想や同調性を求めていて、それが女性ヴォーカルを「へりくだった拙いもの、かわいいもの」という所に押し込めている気がします。でも、
自立して正しい判断を出来るだけの知識や知性を持った大人の女性ってのはそんなもんじゃない。大衆歌の中で、シャンソンって素晴らしく知的な歌が多いと感じますが、あの詩を歌ってさまになる女性歌手で、バルバラほどの人は中々いないんじゃないかと。
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