
ひとつ前の記事で書いた
ハイドンの弦カル76~78番は「エルデーディ四重奏曲」なんて呼ばれる6曲セットの弦楽四重奏曲の一部ですが、この
「十字架上の7つの言葉」は、ハイドン弦楽四重奏の50番で、弦楽四重奏曲の革命作「ロシア四重奏曲」と、傑作「エルデーディ四重奏曲」のちょうど中間。僕はこの管弦楽版を聴いた事があるんですが(でも内容を全然覚えてない^^;)、エルデーディ四重奏曲に感動した勢いに乗って弦カル版も聴いてみよう、そうしよう。
ハイドンの
「十字架上の7つの言葉」には、他にオラトリオ版もあるんですね。すべてハイドン自身の編曲なので、本人も気に入っていた曲なんじゃないかと。そして聴いてみたところ…弦楽四重奏では異例の7楽章制(実際には最後に「地震」という楽章があって8つ)、終曲を除いて他は全部ソナタ、テンポはラルゴ、グラーヴェ、グラーヴェ、ラルゴ…遅い曲ばっかりでした。宗教曲だからこういう異例づくめの事になったのかな?また、管弦楽曲のアレンジものだからか、ピアノ三重奏曲26番や弦カル76番みたいな絶妙なアンサンブルでもありませんでした。
アンサンブルついでに演奏について書くと、ロシアのボロディン四重奏団の演奏は、かみしめるようにゆったり。歌うというより、鋭くビシッと合わせる感じ。そのビシッと言う感触は、録音にも理由があるのかも。実音が強くて、かつスタジオ録音なのか、残響がデジタルリヴァーブ(^^;)。う~んこれはクラシック録音としてどうなのか…93年録音か、たしかにあの頃こういう録音多かったなあ。綺麗な音といえばそうなのかも知れないけど、クラシックもポップスにつられるように、ライブと録音が別ものになりはじめていた頃です。
というわけで、純音楽という側面はかなり後退していて、十字架上でキリストが言ったと伝えられる7つの言葉と音楽の関係が重要なんじゃないかと思いました。というのは、この曲から音だけを取り出して楽しもうとすると、すべてが遅い曲で、しかもマイナー調にして緊張感を出すという事も、楽式を多彩にして聴衆をひきつけるという事もしていないので、だれて聴こえてしまったんです。でもそういう聴き方自体が間違っていて、本当は、7つの言葉のひとつ目「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(うちにある新約聖書刊行会の「新約聖書」のルカ伝23章)という言葉をかみしめながらソナタⅠを聴く、みたいに作られた音楽だと思うんです。だからきっと十字架上の7つの言葉が分かっているキリスト教圏の人には、まったく違って聞こえるんでしょうね。キリスト教のニュアンスが分からない僕には、文化の壁を感じた音楽でした(^^;)。もう少しキリスト教のテキストを理解出来てから再チャレンジしたい音楽でしたが、そんな日は来ない気がします。人生って短いなあ。。
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