
昔、クラシックってヨーロッパ全域の音楽だと思ってました。でも聴いているうちに、ヨーロッパの中にも濃淡があって、この濃淡は政治権力とリンクしてると感じ始めたんです。クラシックの中心地は、もともとはネーデルランドとイタリア、それがだんだんドイツに移っていく、みたいな。これは16~17世紀のポルトガルの音楽が収録されているCDですが、このCDを見つけた時、「そういえばポルトガルの作曲家って全然知らないぞ」と愕然としたのでした。
このCDは、16~17世紀のポルトガルのポリフォニー音楽が収録されてます。無伴奏合唱が中心でしたが、打楽器や、リコーダーとわずかな弦楽器のアンサンブルが伴奏する曲もありました。音の印象だけをいうならルネサンス音楽。とても美しく、構造美にも優れ、それでいてどこか世俗曲的な愛くるしさもある音楽の数々で、「どうせヨーロッパの周縁地域の音楽」な~んて切り捨てる事の出来ない見事な音楽でした。このCD、大ざっぱにいうと、前半が宗教的なポリフォニー音楽で、後半が世俗的なポリフォニー音楽でした。
ポルトガルの宗教的ポリフォニー音楽は、16~17世紀が最盛期だそうです。すごい完成度の曲のオンパレードなので、きっとそうなんだろうなと納得。その
先鞭を切ったのがヴィセンテ・ルジターノだそうで、このCDにも「ああ悲しや、主よ」という曲が入ってました。これはヨーロッパ周縁どころのレベルの作曲じゃないだろ…と思ったら、ルジターノさんはイタリアで活躍して、『定旋律に関する最新にしてもっとも簡明な手引き』なんて本も出してイタリア音楽の理論家と激しく論争を繰り広げたそうです。う~んこういう音楽家を知ってしまうと、政治的に力がある地域が文化の中心になっていくのは、情報の流通の交錯点がそういう地域になるからというだけであって、決して周縁地域の人たちのレベルが低いわけではないと思ってしまいます。
一方、世俗ポリフォニーはほとんど作者不詳。でも完成度が落ちる事なし。たしかに宗教的ポリフォニーに比べるとヴォイシングがシンプルなものもありましたが、詞の内容が宗教的でないというだけで、ものすごく深みを感じる音楽でした。なんで深みを感じるのか考えたんですが、影のある音楽なんですよね。このCDについていたライナーによると、
この時代のポルトガルは国民生活が危機的な状況に陥って、神秘主義的なものが浸透し、娯楽的なものが排斥される風潮になったんだそうです。そんなわけでこのCDに入ってる世俗曲も、タイトルからして「望みは失われていき」とか「その日を誰が見られよう」とか、ものすごくダウナー(^^;)。でもそれが単純なヴォイシングだけにとどまらないサウンドを生み出していました。短3度は倍音列的には長3度みたいにすぐ出てこないので、物理的にも長調よりも短調の方が深い音になる…と思うんですが、それ以外にも6度がムッチャ綺麗。不協和音も、初期のルネサンス音楽に会ったみたいな偶発的なものではなくて「これは狙ったな」という感じなのです。う~んこれは深い。
演奏について。古楽演奏って、「ん?これでいいのか?」みたいなものに出くわす事がたまにあるんですが、
これは大名演!ウェルガス・アンサンブルはオランダ人のパウル・ファン・ネーヴェルという指揮者がスイスで結成したアンサンブル。なるほど、ルネサンス音楽の本拠地オランダの出身者はさすがだな(^^)。
15~17世紀は大航海時代ですが、その後半となる16~17世紀となるとポルトガルって意外とヤバかったのかも。貿易はスペインに抜かれ、その他ヨーロッパに抜かれという状況。国そのものだって、スペインに併合された事もありましたよね。でも、厳しい時代の方が深い音楽が生まれるというのは世の常で、アメリカのロックもベトナム戦争前後は凄かったし、現代音楽も2次大戦直後のものはすごかった。16~17世紀のポルトガルのポリフォニー音楽は、ヨーロッパ周縁なんて言えないほどに汎ヨーロッパ的な音楽で、しかもそのレベルが高かったです。これはオススメ!!
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