
これもノンフィクション作家の沢木耕太郎さんが書いたルポ本です。書かれた年代の記載がありませんでしたが、収録されているボクシングの試合が75年のものだったりするので、大体そのあたりかと。
『地の漂流者たち』が労働者階級の若者の苦悩を扱ったのにたいし、『敗れざる者たち』はその多くがスポーツの世界でトップになり切れなかった人たちをレポート。全6篇で、ボクシング2、競馬1、マラソン1、野球2、というバランスでした。
競馬は「イシノヒカル」という馬を中心に騎手や調教師や馬主などをレポート。僕が競馬に興味ないからか、これはあまり面白く感じなかったです。でもこのルポを読んで
競馬馬は引退するとそのほとんどが殺処分され、馬肉になるというのを知り、この本を初めて読んだ大学生の頃の僕は馬肉を食べる事をやめ、そして競馬が栄えると馬の犠牲は果てしなく続くと思って競馬は絶対に見ないやらないと誓いました。そう思わせてくれたという意味で、このルポは読んで良かったです。
本当に読んで良かったと思うのは、野球のひとつとボクシング2篇でした。野球のひとつは、アマチュア時代は大物だったのに、プロでは長嶋茂雄の影に隠れて去ることになった人たち。難波さんは、巨人のサードとして将来を嘱望されて契約したのに、南海に行くはずだった長嶋が急遽巨人に入ることになって、とうとう陽の目を見なかった人。競争の世界を生き抜くには優しすぎる性格が仇、巨人を去った後は他の仕事につき、成功をおさめたそうな。「(野球を)忘れ去ろうとし、彼はできた。彼にそれが出来たのは、
何かが欠けていたからだ。プロスポーツマンとしての何かが。しかしそれは、大事な何かを持っていたということと同じなのだ。プロスポーツ以外の世界で生きるための…」。なるほど、この考え方には学ばされるものがありました。
ボクシング2篇。おそらくこれが本書の肝で、最初と最後に書かれていました。最初に書かれていたのは、東洋チャンピオンにはなったもののついに世界チャンピオンになれず、噛ませ犬ボクサーに落ちぶれて犯罪にも手を染めたカシアス内藤。燃えきれず、しかし引退も出来ずにボクシングを続けているボクサーをレポートして、「
人間は、燃えつきる人間と、そうでない人間と、いつか燃えつきたいと望みつづける人間の、三つのタイプがある」。勝負に行く所ではリスクを背負ってでも踏み込まないといけない…読んでいてそんな事を思いました。
そして最後は輪島功一。世界王者になるも王者転落、年齢的にもう厳しい状況での、おそらく最後の世界再挑戦を追っていました。ところが輪島は引退の花道とかいい勝負なんて気持ちではなく、「輪島が勝とうとしている、ということに驚いたのだ。それも
異様なほどの執念でもって勝とうとしている。敗北を覚悟で戦う、などという生やさしいものではなかった。」そして輪島は試合を優位に進め、しかし判定勝ちを狙わず攻め続け、ついに最終ラウンドでチャンピオンを沈めて王者返り咲き。なぜ試合に勝っているのに判定勝ちを狙わずに攻め続けるのか、ここにこの本のハイライトがあるように思えてグッときました。天才的なテクニックを持ちながら世界王者になれないカシアス内藤にたいしての不器用ながら世界を取った輪島の感想は「彼はボクシングを信じ切れなかったんだな」というもので、また攻め続けた理由は、ルポライターがずっと疑問に思い続けてきた「いつか燃えつきたいと望みつづけ」ながらもその一線を越え「ようとせず勝負を延々と先延ばしする人」との差に、超えるために必要となる努力と、越える意志の存在、少なくともこのふたつは間違いなくあるのだなと思いました。
この本、いい所まで行くも勝ちきれずに勝負の世界を去っていった人の話がほとんどなので、読んでいるとだんだん「いかに全力で負けてケリをつけるか」みたいな本に思えてきてしまって憂鬱でした。でも輪島さんがいてくれたおかげで、読者としての僕もルポライターも誤った正当化に陥らずに済んだかも。ケリをつけに行く覚悟で事に当たるのはたしかにそうだと思うけど、それは負け覚悟と等価ではないんですよね。輪島さんばんざい!
- 関連記事
-
スポンサーサイト