
インドの神様への讃歌という意味で言うと、
ミーラー・バジャンどころか、世界の歴史に残るほど有名なものにも触れた事があります。リグ・ヴェーダ讃歌っす!
インドの宗教的な文献というと、バラモン経典のウパニシャッドとか、原始仏教の色んな本とか、「紀元前の思想家って凄すぎるわ」というもののオンパレード。インドの古い宗教文献を総称してヴェーダというそうですが(ウパニシャッドもそのひとつで、ウパニシャッドは奥義書)、その中でも特に古いものがリグ・ヴェーダ。
リグ・ヴェーダはインド最古の宗教文献となる韻文の讃歌で、主に神々を崇めた歌が多いですが、他にも天地創造を歌ったものや、祭祀に関する歌なども。これは岩波文庫から出たリグ・ヴェーダ集ですが、もともとは筑摩書房の『世界古典文学全集3巻 ヴェーダとアヴェスター』からの引用が多いそうです。この文庫版は、讃歌をジャンル別に分けて収録していました。
たしかに神々の讃歌が多かったです。僕が知っている神の名前だとウシャスとかヴィシュヌとかインドラとか。それぞれの神々の解説を逐一入れてくれていたので、素人の僕にとってはむっちゃくちゃ分かりやすくなっていて有り難かったです(^^)。ただ、詩としてはのちのウパニシャッドみたいな哲学的な深さとか修辞法的な見事さはあまり感じる事がなく、べた褒めしてるだけ感がなきにしもあらず(^^;)。本当に、詩とか関係なしに神をたたえること自体が目的だったのかも。
感心したのは神々のうたではなく、天地創造を扱った詩句でした。
そのとき無もなかりき、有もなかりき。空界もなかりき、その上の天もなかりき。何ものか発動せし、いずこに、誰の庇護の下に。 (宇宙開闢の歌10・129-1)この創造はいずこより起こりしや。そは実行せられたりや、あるいはまたしからざりしや、――最高天にありてこの監視する者のみ実にこれを知る。あるいは彼もまたまた知らず。(宇宙開闢の歌10・129-7) 古い宗教文献というとエジプトやシュメールにもありますが、多くの古典的な文献での天地創造ってギルガメシュとエンキドゥとか、人型の神が出てくるものが多いです。リグ・ヴェーダも似たような感じでしたが、この詞だけはそういう擬人化はなしで、科学全盛の現代ですら通じそうなこの表現。時空もないところで擾乱が起き…な~んて量子論の世界の表現とほとんど同じじゃないですか、すげえ。う~んなるほど仏教が宗教というより哲学として発展したルーツには、こういう心理そのものを追おうとするインド宗教の伝統があったからなのかも知れません。
インドの古典文献で僕が本当にのけぞったのはウパニシャッド関連からで(ウパニシャッドは200以上あるインドの宗教的奥義書の総称で、書かれた年代はまちまち。俗にウパニシャッドという時は古代ウパニシャッド14~17種のことを指す)、リグ・ヴェーダはまだああいう哲学的な深さや詩的な見事さは感じませんでしたが、その萌芽は感じました。あと、意外とこの詞を書いた人たちが、作詩を依頼してきたクライアントに媚びて書いたように思えたところもけっこうあるような…そんな穿った見方をしてしまうのは、僕が歳をとってすさんでしまったからなのかな(^^;)。。
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