
最初に結論を書くと…僕は絶対に薦めないけど、クラシックに詳しくなくて
ウルトラセブンが好きな人なら読んでもいいかもしれない。でも、この本に書かれていることを真に受けるのは危険。さらに、プロになれずとも音大に進んだぐらいの人が読むと不快に感じる可能性が高いと思います。このブログ、これまでに大量の感想文を書いてきましたが、今回は史上最大の侵略…じゃなかった、史上最大の酷評をする事になるかも。ですから、批判が嫌いな方はどうぞ読まないでください、あくまで一個人の意見ですので。
音楽家でも批評家でもない人が、ウルトラセブンを見てクラシックに目覚めたという自分の体験を書きつづった本です。もし、高校まで部活で吹奏楽部にいた程度のどこかの少年が、子どものころにヒーロー番組を見て音楽が好きになり、専門家でないと困難なアナリーゼを行うでも、業界人でないと知りえない情報を載せるでもなく、シロウトの感想をつづっただけの本を出したとしたら、読者はその本のどこに価値を感じられるのか…そういう事です。
内容が薄いならまだいいですが、この本、僕は読んでいて腹が立ちました。ひどく無責任に批判を行うのです。否定的な評を下すこと自体は悪い事ではないと思いますが、この本みたいな批評の仕方はまずいです。この本の3章のうち2章はウルトラセブン最終回で使われたシューマンのピアノコンチェルトの音盤の話ですが、それぞれの盤に色々と批評を行っています。しかしその
批評が論拠を示さない単なる印象批判なのです。アマチュアが無記名で書きこむアマゾンのユーザーレビューとかならともかく、出版される書籍でただの印象批評をしていて良いのでしょうか。「少し過剰な印象」(p.169)、「リリカルで抒情的な熱をもって弾いてほしい」(p.116)…あまりにひどくないですか?
批評って、根拠を示さなくていいんだったら、いくらでも持ち上げる事も貶す事も可能です。昨日ピアノを始めた子どもの演奏を「天才だ、傾聴に値する」と書く事だって、世界レベルの演奏技術を持つピアニストを「初心者レベルだ、ピアノやめた方がいい」とこき下ろす事だって、言葉ではいくらでも言えます。言葉は音と違って嘘をつけてしまうんです。言葉って実際にあった事から独立して、言葉だけで存在できてしまいますから。
だから批評をするときって、事実と一致させながら論理的に展開しないといけないのではないでしょうか。「難易度が高いといわれているリストの○○を7歳の少女がノーミスで演奏しきった。だからすごい」みたいに、客観的な事実と言葉と等価にして文字を積み上げ、事実化していくわけです。ところがこの本の批評は、そういうことをしていません。根拠や事実を示さないで書かれた音楽評なんて、なんの事実も担保できないので、情報としての価値はゼロではないでしょうか。最低です。
この著者が安易に批判した音楽監督もソリストも、この著者の何十倍もスコアを精査し、表現を決定し、厳しい練習をしたのだと思います。批判してもいいけど、批判する相手が自分よりも何倍も音楽能力が上で、かつ自分とは比較にならないほどその演奏のために労力を費やし、音楽に貢献してきたことを知るべきです。そうしたら、もっと言い方が変わってくるはず。明らかに音楽力に劣る人間が上から目線で書く事の滑稽さを知れ、と思ってしまいました。これだけド素人なものを書いておきながら、「有名な批評家に褒めてもらえた」とか書いちゃっているところも最高に痛かったです。
この著者、完全な素人ではなく、天下の音楽之友社に務めていた方みたいです。出版社勤務の人が、批評に対してこの程度の認識しかない事は問題だと思うなあ。僕はウルトラセブンもシューマンのピアノ協奏曲も好きですが、この本から得られた有益な情報などひとつもなかったし、それどころかあまりの無知さと無神経さに、読んでいて不快になるばかりでした。知らない人にとって有益な情報は、セブン最終回のピアノ・コンチェルトのソリストがリパッティという事ぐらい…それだってネットでググれば3秒で分かる事ですけどね。僕が今まで読んだ音楽関係の書籍の中で、群を抜いて最低と感じた一冊でした。
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