
昨年(2021年)末に、元プロレスラーのストロング小林さんが逝去されていたそうです。享年81歳…早死にの多いプロレスラーの中では長生きと言えるかも。それでも、子供の頃に夢中になったプロレスやプロ野球の選手たちの訃報を聞くのは、なんだか自分の少年時代が消えていく感じがして、とても寂しいです。
僕がちゃんと見た小林さんの試合は、国際プロレス時代のラッシャー木村戦と、
アントニオ猪木と戦った2試合の、合計3試合だけ。
国際プロレス時代のラッシャー木村との試合は、どちらも技はないけどハードにぶつかり合う果し合いのような雰囲気で、独特の魅力を感じました。
でもやっぱり一番すごかったのは
猪木との第一戦。新日本プロレスのトップと国際プロレスのトップが雌雄を決する大一番で、昭和プロレスを代表する名勝負。プロレスで一番好きな試合はこれという人もけっこういるんじゃないかと。僕がこの試合をはじめて見たのは猪木さんの特番でやっていたダイジェストで、小林さんの仕掛けたカナディアン・バックブリーカーを猪木がロープを蹴ってリバース・スープレックスで返すというムーブに大興奮。有名な最後の猪木のジャーマン・スープレックスは今でも鮮明に記憶に残っています。
僕が本格的にプロレスに夢中になった1980年頃には、小林さんは後輩に抜かれつつある老兵になっていました。藤波辰爾がジュニア・ヘビーでドラゴン・ロケットやドラゴン・スープレックスといった離れ業を連発して活躍、長州力も台頭して革命軍や維新軍を率いて猪木との戦いになっていき、前田明(昔はこういう綴りだった)や藤原喜明も出てきて…こういうストーリーの中に小林さんは入っていませんでした。猪木とのリベンジ・マッチも1試合目ほどの熱はなくて、ある意味では猪木に「小林はメインイベントを張れる奴ではない」と見切りをつけられていたのかも。猪木ってこうい所はすごく厳しくて、メインを張れると思えば、新人の前田や佐山でもどんどん使うくせに、駄目だと思ったらアマレス代表だろうが何だろうが容赦なく切り捨てるんですよね。そして、テレビに出てこない前座の試合に出ていただろうかつての国際プロレスのトップレスラーは、気がついたら引退。
小林さんって確かボディビルダーからプロレスに入ったんでしたよね?
体は大きい力はある、打たれても蹴られても頑丈、僕が思い描く力道山以降の戦後日本人プロレスラーの典型のような人でした。でも動きは少し遅く、レスリングやシュートの技術は無いように見えて、これが格闘技志向を持っていた頃の新日本プロレスとは相性が合わなかったのかも。タイプとしては全日本なので、もし馬場さんの方に言っていたらまた違っていたのかも。プロレス引退後はビートたけしのバラエティ番組などでたまに見かけましたが、そこで見る限り、ちょっと天然だけど人柄はすごく良い人という印象でした。
猪木と日本プロレス界を震撼させる名勝負を残したのは、プロレスラー冥利に尽きるものでしょう。そういう意味では、幸せな人生だったかも。ご冥福をお祈りします。
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プロレスって、強い弱いはもちろんですがそれ以上にセンスが必要だと思います。
ご冥福をお祈りします