
1948年発表、太宰治の晩年の小説です。この小説を脱稿してすぐに太宰治は愛人と心中。その内容と相まって、太宰治の自伝か遺書のような本とも言われてます…よね?僕は学生の時に、国語教師にそう教わりました。今はどうか知りませんが、僕の学生時代は太宰治を信奉する若者が多かったと記憶しています。僕のクラスメイトにも、いま一緒に仕事をしている若い女の子(と言っても20代後半)にもダザイストがいます。
小説は、ある男の手記を読む形で書かれています。手記の書き手は、豪商の大家族の末っ子で、頭も顔もいいが人の気持ちが分からず、自分を表現できず、女中や下男に性的虐待を受けて育った男。自分の本意を隠し、人に気に入られるよう振る舞って生きるようになります。社会人になってからは女と心中未遂を起こし、薬物中毒になり、最終的には脳病院(現在の精神科や心療内科?)に入院、自分を人間失格と自覚するに至ります。
ファースト・インプレッションを正直に言うと、主人公がアスペルガー症候群気味、自意識過剰、シャイ、そして頑固であると感じました。独立心の強い社会なら、強烈な心的外傷を負っているなどのよほどの事情でもない限りは、生きていくのに邪魔になるような気質ぐらい自分で直せ、な~んて思わなくもなかったです。程度はともかく、心的外傷なんて誰だって負うものでしょうし、そこから立ち直って得するのは自分なんだから、自分でがんばって直そうぜ、みたいな。それを自分でも分かっているけど出来ないから「人間失格」なのかも。
それに関連して思ったのは、「僕はダメなやつなんだ」「僕は死ぬんだ」という所につながっていく心理の背景には、独立心が弱く甘えの構造がある日本文化があるのかな、な~んて思いました。自意識過剰、シャイ、何らかの精神的外傷…子どもの頃は大なり小なり、社会的人間として弱点となりうる何らかの特徴や傾向や経験をみんな持ってると思うんですよね。それを克服していくのが大人への過程だと思うんですが、それを気に病むばかりで修正には行かない・出来ない態度の裏に、甘えの文化があると感じました。マッカーサーが日本に来て、日本人の精神年齢が12歳程度に見えたという話がありますが、まさにそんな印象。どこまでが個人の権利で、どこからが社会規範に従うべきかの線引きは難しい場合もありますが、さすがに「赤信号でも俺は渡りたいんだ」というのは、自分より社会を優先すべき事ではあるじゃないですか。
ただ、こうした印象の次に感じたのは、『人間失格』の主人公(おそらく太宰自身)には、「強烈な心的外傷を負っているとかのよほどの事情」がある可能性があって(だって明らかに病的だし^^;)、赤信号で渡ってはダメという事が判断できないほどなのかも知れない、そうだとしたら話は変わってくるのかも、と思い直しました。というのは、幼少期の描写で、サラッと「女中や下男に性的虐待を受けた」みたいなことが書いてあるんですよね。
最近、少年が受けた性的虐待に関する精神分析治療の専門書を読みまして、その中で太宰治が例として取り上げられていました。自殺願望や自分の思った事を言えないなど、この本の主人公の特徴を取り上げて、海外の精神分析医たちがみな「幼少時に虐待を受けた人間の傾向に一致する」と判断したそうなのです。そうであれば、自殺を企図するほど自分の性格に悩んでいる人の心の声を伝えたもの、ぐらいの意味を帯びた小説なのかな、みたいな。
いずれにしてもそういう小説なので、問題はこの小説がどう消費されるかじゃないかと。僕は学生時代、こういう日本の近現代の文学を読んで、「辛さを分かってくださいみたいなのが多くて、文学って本当に読む人の為になるものなのかな」と疑問に思ったんですよね。外国文学は「問題を特定して、それをどう乗り越えるか」というものが多く感じたので、余計にそう感じました。訴えること自体は意味ある事と思うんですよ、問題はその先。もし読んだ結果が「うんうん、わかる」とか「こんな事があるんだ」だけで終わって、最後の「ではどうするか」や、実際の行動に結びつかなければ、結局本は本でしかなくなってしまいます。あるいは、これと同じような心境を覚えているまだ大人になり切れていない人が「私と同じ人がいるんだ」と感じて、それが何かの心の支えになったとしたらそれはいい事だけど、それ以上のところまで進んで自殺の連鎖につながったりしたら、恐らくあまりいい事じゃないですよね(自殺が解決策として最善かどうかは、ここでは保留)。
というわけで、このぐらいだったら「それは個性」とするだろう現代(このレビューを書いたのは2022年)に、この本を正しく消費するとしたら、素晴らしい文学として扱うのではなく、「強者は弱者をいじめるな」「自分が病んでいると思ったら泥沼で辛く感じている状態を続けず、解決策を見出せ」「それが出来ない状態なら医者やハローワークや警察の相談センターなど、しかるべきところに行って何とか解決してもらおう」といった事を元気なうちに心がけておく、あたりじゃないかなあ、なんて思ったりして。そうそう、太宰治の精神分析医の立場から書いた本は
『少年への性的虐待』という本なのですが、その本についてはまた次回!
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