
太宰治
『人間失格』を読んでいて引っかかったのが、主人公が幼少期に受けたという性的虐待。サラッと流されて細かくは書かれていないのですが、それは自己否定という人格を形成した重要な契機のひとつで、とても書けなかったか、解離(トラウマになるほどショッキングな出来事を、自分の体験ではない事として切り離してしまう精神の働き)を起こして記憶の彼方に握りつぶしてしまっているのか…な~んて思いました。そんな精神科医みたいな感想を持ったのは、この本を読んだから。
この本の筆者は心理的トラウマを専門にする精神分析の専門家さんで、訳者も精神科医で医学博士。ともすればエロそうな本にも見えますが(実際のところ、性犯罪が関連するので、見ようによってはちょっとエロい)、480ページを超える立派な専門書でした。
この本の構成は、おおむね以下の通りでした。この分野のこれまでの常識や用語の紹介(1章)、被害者の少年がそれを性的な通過儀礼と捉える傾向について(2章)、男が性的虐待を受けるというところから生じる男性性をめぐる苦悩(3~4章)、虐待の家族や文化的な背景(5~6章)、抑圧や解離や多重自己状態といった虐待から引き起こされた精神障害について(7章)、不信やサディズム/マゾヒズムといった性格への影響(8章)、医者の性別や、医者が患者から受ける影響など、治療一般に関する注意点や問題点(9~11章)、という章立てでした。
祖父や実父からフェ〇チオを強要されるとか、年長の同姓数人にマワされるとか、そりゃ
トラウマにならない方がおかしいだろうといった実例が次々に出てくるので、耐性がない人は読まない方がいいかも(^^;)。女教師など年上の女性に関係を迫られるのは「おおっ!」と思いもしましたが、もし自分が小学生の時に担任のあのクソばばあと関係を持ったとしたら…うああああああ絶対に嫌だわ、想像するだけでもたしかにトラウマだ!
というわけで、実際に被害体験をしていない僕は(まったくないわけじゃないんですけどね^^;)、ついついある種の偏見をもってしまうのですが、実際に性的虐待を受けた少年はそんなものじゃないとつくづく思わされました。
そんでもって、そのトラウマになる心理過程が実に興味深かったです(ここを読みたかった)。
恐怖や苦痛だけでなく快感でもあった事で自責の念に駆られる。信頼できるはずの大人を信頼できなくなって、以降の人生でまともな人間関係を築く事が出来なくなる。ショックな出来事を処理しきれず、「あれは僕が実際にした体験じゃないんだ」とその体験を切り離す事で、解離とか多重人格といった症例を引き起こす。男性から被害を受ける事で「僕は男なのに男らしくないんじゃないか」とジェンダー意識に深い傷を負ってある種の自己錯誤に陥る。う~ん、人間の精神の構造ってつくづく面白いです。
僕は精神医学は学生時代から興味があったので、こっち系の本を何冊か読んだことがありますが、読むたびに発見があって驚きです。人間のマインドってこういう風に出来ているんだと思わされるというか。これはメッチャクチャ面白かった、500ページ近くあるというのに、2日で読み切ってしまいました。精神医学に興味がある人はおすすめです!
追記:
例によって、この本で勉強になった事の備忘録を残しておこうかと。
(第1章:少年への性的裏切り)・
大人が自分の問題や欲求を解決するために子供を悪用する事。それは性的な形をとる時があるが、性欲は必ずしも主な動機ではない。動機は、自分に自信がなく力を持ちたいと思う事、性的に攻撃しなければ気持ちを落ち着けられない事、歪んだ形であっても対人接触を持ちたい事。(第3章:男性性をめぐる苦悩)・
性的被害を受ける事によって男性は、行為者としての感覚(生きていくうえで自分が支配権を握っているという感覚)を失うときがある
・男性という自己認識は、女性や同性愛者が示す性質が自分にはないとみなす事で得られる。しかし侵入/挿入されると男性であるというアイデンティティの核心が脅かされてしまう
・女性が性的被害を受けて女性性が脅かされる事は少ないが、男性はそうではない。だから、性的被害を受けた男性は、男性性を再構築する必要がある
(第5章:虐待の家族的・文化的背景)・
父娘近親姦の過程は間違いなく夫婦関係が機能を失っている。娘たちはしばしば両親の仲を取り持つ役割を果たし、しばしば親や他の子どもたちの世話係を押しつけられる・
少女に対する性的虐待は家庭内で起こることがほとんどだが、少年に対する性的虐待はかなりの割合で家族外で起こる(第7章:解離と多重自己状態)・
解離:意識にのぼる前に、ある心的内容と他の内容との間の連結を無意識的に断絶する事・
抑圧:意識から積極的にそれらを追い出す事によって、葛藤をもたらす題材を支配する事・
解離現象の重いものは、以前は「多重人格性障害」、現在は「解離性同一性障害」と呼ばれる・
解離体験は意識はのぼらないので、言語としてコード化されずにいる。・解離は人格を破壊するような出来事に対する防衛反応として役立つ事がある。
・解離はある出来事が言語的に象徴化されないままであるので、解離によって人格に不具合が生じた場合、対処が難しい。性的虐待を受けた時に親友がいたものは、解離する事が少ない。その体験を親友に話すため、言語化してコード化するから。
・人はある集団の中で単一の自己を持っているわけではない。ある時は親、ある時は子、ある時は友人…といった具合に。だから、人格を統合する事と、中心に固まっていない人格は両立しうる。
(第9章:患者-治療者の二者関係)・性的虐待を受けたものは男性も女性も、どちらかが誘惑するものだと思い込みがち。
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