
1976年リリース、
ストゥージズのライブアルバムです。ギタリストのジェームズ・ウィリアムソンが参加してからの録音で、バンド全体の粗暴な音がいかにもガレージ・ロック、悪そうです(^^)。こういう音楽を先に聴いていたから、あとから出てきたグランジとかシューゲイザーあたりが、単にだらしないだけのかわいい子ちゃんにしか思えなくて物足りなかったんですよね。結局、金持ちがグレたところで精神はお坊ちゃんで「大人は~」みないに駄々をこねてるだけだよな、せめて
ヴェルヴェッツや
MC5やストゥージズぐらい噛みついてから言ってくれ、みたいな。
ただ、このカッコいい粗暴さはいい所ばかりではなくて、ロックンロールというこれ以上ないほどシンプルな音楽をえらく粗野に演奏しているだけと言えなくもないかも。僕はMC5にはハマったけどストゥージズにはハマり切れなかったんですが、その理由はここ。演奏にしても作編曲にしても大雑把でラフなこの感じを、「粗野で暴力的でカッコいい」と感じるか「雑で下手だよな」と感じるかは、若いころの僕の耳にとっては紙一重。正直に言うと後者に感じてたかな(^^;)>エヘヘ。そのへんは
ローリング・ストーンズっぽくもあって…そういえば、イギー・ポップの歌い方って、ミック・ジャガーに似てることに、いま気づきました(^^)。
このアルバムを聴いた後、演奏をマジメに学ぶにつれて、実はロックでもジャズでもクラシックでも、爆発力のある演奏をしても本当に飛びぬけている人は、実はメッチャクチャ演奏をコントロールできているのだと学びました。ジャズでいえば
セシル・テイラーや
エリック・ドルフィー、クラシックでいえばリパッティや
アルゲリッチあたりがいい例で、ものすごい爆発力だけど雑になんて演奏してません。ラフにいくのは、勢いを出したいけど技術が追い付いてないから。たしかに「演奏にはうまい下手よりも勢いが必要なときがある」という所に気づいているのがストゥージズやガレージ・ロックのおかげ。でもそれを「雑でもいい」と帰納をしてしまったところが僕にとっては肌に合わないところでした。
ストゥージズのファーストアルバムにあったあの「うまくはないけど、このヤバさには何かある」という作りって、プロデュースやヴィオラを担当したジョン・ケイルによるところが大きかったのかも。ジョン・ケイル解雇後は、デヴィッド・ボウイと絡もうが上手いギタリストを入れようが、そのヤバさを「勢い」「ポップさ」みたいな所にしか還元できなかったわけで、それがこのバンドの限界だったんじゃないかと。まあでも、そうやって聴く音楽じゃないですね、ガレージ・ロックって。デトロイトという貧困化が進んで荒廃していく工業地帯に生きる若者たちが、やり場のないフラストレーションの代弁者のように感じた音楽だったんでしょうしね。
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