
クラシック・ギター・デュオで一世を風靡した
アサド兄弟によるブラジル音楽集です。1987年録音、日本盤タイトルは『ブラジルの魂』。アサド兄弟はブラジルのギター・デュオなので、ブラジル音楽集はようやく登場した企画(^^)。しかも、
選曲がいいんです!
ヴィラ=ロボスみたいな大御所から、ジスモンチ、ノブレ、パスコアルといった現代作曲家もの、そしてオリジナルと、バランスが素晴らしいアルバムでした。クラシックって人の曲やるものがほとんどだから、選曲でやりたいことを表現する事って重要だと思いますし、器楽曲なら自作曲を何曲か入れるべきだと思うんですよね(^^)。
あ、あれ?このアルバム、僕は昔ふとしたきっかけで耳にして、大感動して自分で買ったもので、アサド兄弟の最高傑作と思っていたほどでした。それほど感動したのに、久々に聴いたらそんなに感動しないぞ?!なぜだろう…。
こういうことなのかも。クラシック・ギターの曲はほとんどが超絶技巧といっていいほどなので、作曲はその入れ子細工の職人技の作曲技術に感動するし、演奏は一流のプレイヤーのものだとどれも技術に感動するんですよね。さらにクラシック・ギターほど多彩に音色を使い分けられる楽器もなかなかないので、指の速さやメカニカルなテクニックばかりじゃなくて、表現をきちんとしに言っているプレイヤーさんの演奏だと、表現に感動するのです。まず、若い頃に僕が感動したのはこんな感じだったんじゃないかと。
一方、なぜ昔ほど感動できなかったかというと…音楽のベースにあるものが機能和声だらけなんですね、現代の新曲なのにこれだと、ポップスをクラシック・ギターの超絶な編曲と演奏技巧でやったものに聴こえてしまったのでした(^^;)。こういう傾向って南米全般に感じるもので、モダン・タンゴ、モダン・フォルクローレ、そして南米のクラシック・ギター曲のすべてがこうなりがちなんですよね。
なぜこうなるかというと、ヨーロッパの作曲家が書いたギター曲と違って、南米のギター曲ってギタリストが書いたものが多いからなのではないかと思ってしまいます。つまり、現代の作曲技法を通過しないまま作曲している事が多いんじゃないか、みたいな。このアルバムで唯一7音音階などの「ふつうの」西洋音あくの和声法を外れているものは、ニャタリ作曲「サンバのリズムによるトッカータ」でしたが、ニャタリはピアニストですしね。。考えてみたら、僕が好きなクラシック・ギターの現代曲って、
武満徹さんや
ブリテンなど、ギタリストがついでに作曲しているものではなく、プロの作曲家が書いたものばかりでした(^^)。このあたりは、ギタリストがギターを書く事が当たり前と思っているブラジルなりの文化があるのかもしれません。
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