
1966年発表、メンバーがマーク・レヴィンソン(b)、バリー・アルトシュール (dr) となった
ポール・ブレイ・トリオのレコードです。60年代なかばから末までのポール・ブレイって、フリージャズと言って差し支えない内容の音楽をやっていたと思いますが、作曲者がきちんとクレジットされているのが通例で、そのへんはでたらめパワー押しアドリブなフリージャズというより、もしかしたらサードストリームとポスト・バップの間ぐらいを狙っていた人と思っておいた方がより近いのかも。このアルバムもそうで、アーネット・ピーコック(6曲)、カーラ・ブレイ(1曲)、オーネット・コールマン(1曲)、ポール・ブレイ(2曲)の曲を扱っていました。この作曲家陣ってポール・ブレイのスタンダードですが、カーラ・ブレイとアーネット・ピーコックの割合がひっくり返っているのが特徴といえば特徴でしょうか。
どんな音楽であろうが1曲を5分程度にまとめられていて、それらがバラエティ豊か。テーマ終わったらほとんどフリージャズ的な即興(「Blood」など)。意外とポスト・バップなアプローチで仕上げた曲(「Ramblin'」…このオーネット・コールマンの曲がいちばんスタンダードに感じました。その時点で、どれぐらい当たり前ではないジャズをやっていたのか分かろうというもの)。小奇麗なフュージョンっぽい曲(「El Cordobes」「Mister Joy」など)、それと紙一重だけどギリでサード・ストリームらしさも残した曲(「Only Sweety」)、などなど。
これらバラエティ豊かな音楽の中で、特に僕が
良いと感じたのは、アーネット・ピーコック作曲の「Albert's Love Theme」「Nothing Ever Was, Anyway」といった内省的な曲での演奏でした。3人で演奏していてもほとんどピアノ・ソロに近く感じるほど、ピアノが音楽の重要な部分をすべて演奏していました。そのピアノの演奏も、メゾピやスローだからといって表現が抑え込まれているなんてことは全然なし。静かな中にアタックがパンと出されたり、和音にちょっとした工夫がされて、それらが素晴らしい緊張感を生み出していました。音楽が止まってしまう事もなくて、西洋音楽特有の強い進行感も感じました。

60年代のあのフリージャズの流れの中で、たしかにこれは一歩抜き出した音楽かも。
『Footloose』からこのアルバムあたりまでのポール・ブレイの「内省的」なピアノ・ソロというのは、かようにして表現力も和音への工夫も高い、緊張感も推進力もあるものだったんですよね。残念なことに、この「内省的」というのをどこではき違えてしまったのか、ECM以降になると…いやいや、これは言うまい(^^;)。
それにしても、このアルバムのリズム・セクションの強力さったらありません。馬鹿テクだけでなく表現力も相当だし、フロントのやる事に見事に対応するアンサンブル能力も見事。フリー・ジャズって、フロントマンはでたらめな人も多いけど、リズム・セクションは普通以上の爆発力を持っているうえに、どんな音楽でも出来てしまう見事なプレーヤーさんが多いですよね。このアルバムのマーク・レヴィンソンやバリー・アルトシュールもその典型、こういう人をフリージャズのひとことで済ませちゃうと、事実からかけ離れるかも。メンバーもふたり被っているし、ジャケット・デザインも似ているからと言って、アルバム
『Touching』の姉妹盤と思ってはいけないと感じました。
でもまあ、これだけ色々といい事をやっておきながら、自分の行く道を決めきれない、長所で突き抜けきれないところがポール・ブレイ。プロレスでいえばスーパー・ストロング・マシンやジャンボ鶴田、野球でいえば原辰徳みたいなもんで、一流ではあるんだろうけどレジェンドとは言い切れないものがある、みたいな(^^)。でも、フリージャズ期のポール・ブレイのリーダー作では、間違いなく上位に来るアルバムじゃないかと。そして、このメンバーでの決定作は…その話はまた次回(^^)。。
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