
どうやって生きればいいのか、そもそも人間って何なのか、こういう事をマジメに考えて落ち込む暗い青年に育った僕は、本が好きでした。趣味として好きとかそんなんじゃなくて、「この世界って、人間って、私って」という事に回答してくれるかもしれない本が好きだったのです。だから小説にはあまり興味がなく、読む本は哲学、物理学、心理学などの実学が多かったです。とうぜん社会学や動物学にも興味を持つわけで、動物学と社会学の両方をまたいだこの本を見つけたときに飛びついたのは言うまでもないことでした。古本で安かったしね(^^)。
この本、タイトルに偽りなしの素晴らしい内容でした。至極ざっくりいうと、以下のような構成。
まず、種とは何かを定義します。そして、種というものは子孫を残し繁栄するという大前提のもとに定義できるものと示したうえで、この「種の繁栄」とは何かを紐解きます。これが動物にとっての社会というヤツなんですね。
でもって、面白いのはこの先です。
種の繁栄というと、いかに子孫を増やすかという事になりそうですが、それだけでなく、いかに種の数を減らすかという事にも気を使ってるんだそうで。へえ、そうなのか!例えば、ゾウリムシは、種の数が増えすぎるとそれ以上分裂しないんだそうです。それ以上分裂すると、ひとつの個体を維持するだけの捕食する細菌がいなくなってしまい、種が共倒れになってしまう、みたいな。種の人口抑制の内的要因としては、こうした自分たちでの人口抑制のほか、バッタやネズミなんかは増えすぎると一部が一気に他の場所に移住することで種の一部を捨てるんだそうで。
また、捕食者ですら種にとっては有益なんだそうです。かつて北米アリゾナで、人間の猟の対象だったシカの数を増やすために、シカの天敵のオオカミやピューマを狩ったら、一時は鹿は増えたんだけど、詞かが自分たちの餌を食いつくしたもんで、長い目で見るとむしろシカの数は減ってしまったんだそうです。で、種の外的要因の調節機構としては、捕食者、流行病、細菌なんかがあるそうです。
大型哺乳類になると、バッタやネズミのようにたくさん産んでたくさん捨てるという戦略が取れないため、順番制やハレム制を作って、まるで優生学のようにより良い遺伝子を引き継いだ子を育て、そして死ぬ場合にはエサの順番が後回しになる貧弱な個体から削るようにするんだそうです。
そして、人間。
人間は本能的な抑制機構が著しく欠如している種なんだそうです。たとえばセックスにしても、性衝動はあるけどそのやり方は本能として知らず、それは学習に頼ってるんだそうです。そんなわけで、人口抑制の内的要因は持っておらず、殖えっぱなし。しいて内的要因をあげるとすれば戦争なんだそうで、でも人口抑制を名目に行われた戦争はいまだかつてなく、結果としてそれが人口抑制につながってるというだけなんだそうです。
一方、人口抑制の外的要因は飢餓、流行病、ウィルスなど。かつては捕食者もいたんでしょうが。流行病は、不思議なことに人口の1/3が死ぬころには薬が開発されていない時代でもだいたい収束したんだそうです。
この本を書いた日高さんという方は昆虫生理学、理学博士で、京都大学の教授などを務められた方です。このが書かれたのは1966年。古い本なので、科学が進化した今、この本に書かれている内容が今どこまで有効なのか分かりませんが、読んだ当初に受けた衝撃は大きなものでした。こういう諸科学の研究によって明らかになった事を人間が有効に活用できれば、人間の未来はもっと明るいと思うのですけどね。。
追記:以下、この本の内容を、備忘録として要約しておこうと思います。
第1章:代表なき集団 *この章の要点は、種とは何かという事・生物はかならず何らかの種に属している
・
すべての種はある個体に代表されるものではなく、つねに主個体群として実在している・高等動物についての種は、子孫を残すことが出来るかどうかで判別(ラバのように生まれる事は出来ても、ラバ同士によって子孫を残すことが出来なものは種とはされない)
第2章:汝、姦淫することなかれ・個体の生命は次々に失われても、子供を残す限り種は存続する。
・子供を残して継いでいく種の存続のためには、異種間雑交を避ける必要がある。そしてそれを避ける生理的なシステムを生物は持っている
第3章:存在と無・動物は同じ種を見出すシステムを持っている
・モンシロチョウの場合、オスは白くひらひらするものに近づくだけ。メスは、受胎している場合は拒否。近づかれたのがメスではなくオスの場合は「はばたき反応」によってメスでない事が認識される。このようにして、モンシロチョウ同士の間には常に社会関係が存在する。モンシロチョウにとっての社会とはこのようなもの
・
社会とは、同種の動物個体がその働きあいを通して成り立たせている(種の)生活の組織・動物にとっての社会の制度は、オスとメスが遭遇することを保証する。つまり動物は社会を持つことによって殖えるための問題を解決している。
第4章:今よりのち、主にありて死するものは…*この章の要点は、生物の種にとって人口の殖えすぎも種にとって危険なことであり、種はそれぞれに人口抑制のシステムを持っているという事
・しかし、増えすぎも種の命取りになる
・野菜の害虫ヨトウガや稲の害虫ニカメイガは、サナギになるまでに99%が死ぬ。死因は捕食、ウィルス、細菌による病気。
・ヒキガエルの場合は、10000匹のうち9998匹が生殖に加わらずに死ぬ計算。
・そして、この数のうち1匹が増えるだけでも減るだけでも、時代の個体数は大幅に変わってきてしまう。
・それぞれの生物は、この「爆発する人口」の解決策をそれぞれ持っている。
・原生動物の場合:ゾウリムシは自分の生きる環境にある排出物の濃度が高まると、分裂増殖を抑え、人口爆発を防ぐ。もし人口爆発を防がないと、一匹のゾウリムシが生きるために食べるだけの細菌がなくなってしまい、結果としてゾウリムシの種全体に甚大な被害が及ぶ
・ゾウリムシのように、
個体群密度が高まると増殖が抑えられる事を「群集効果」という・トノサマバッタの場合の群集効果:個体群密度があがると移動性の性質を持った個体が生まれる生き物もいる。移住性バッタはその例。トノサマバッタは個体群密度が低いときは移住しない。しかし個体群密度があがると黒ずんだ個体を持ったものが現れれるようになり、彼らは生まれた場所を飛び去って移住する。種全体でみれば、種が増えすぎて共倒れになるのを避けるため、一部が捨てられるという意味。トノサマバッタはゾウリムシのように増加を抑えるシステムを持たないために、増加したら捨てる。移住したバッタが生き残れば種の生存域の拡張になるし、仮に移住者が全滅したとしても種の存続という観点からすれば別に問題はない。
・トノサマバッタと同じ「捨てる」移住システムは、レミング(タビネズミ)もそう。
・どの動物においても、いよいよ食事がなくなってからこのシステムが働くのではなく、それより前にこのシステムが働くという事。つまり、動物たちは、種の危険が迫るほどの人口爆発を起こす前に、その種に遺伝的に備わったやり方で、生理的に反応して口べらしをする。
第5章:悪のパラドックス・生き物が生き物を襲う恐怖はふたつ。ひとつは違う種の生き物を襲う時、もうひとつは種内闘争。
・多くの生物は捕食者を持つ。たとえば、ある個体の鹿にとって捕食者のピューマやオオカミやコヨーテは悪魔のような存在である。しかし、種としての鹿にとって捕食者は本当に悪魔か。
・北アメリカのアリゾナのカイバブ高原で起きたこんな実話がある。そこには黒尾鹿が住んでいて、人間の良い獲物になっていた。ところがピューマやオオカミやコヨーテが鹿を狩ってしまうので、人間は鹿の捕食者を狩る事で鹿を増やそうとした。事実、オオカミは全滅させられた。その結果、一時鹿は爆発的に増えたのだが、殖えすぎた鹿は草を食いつくし、冬を迎えた時に食物を失った鹿はむしろ数を減らしてしまった。一時は10万匹になった鹿は1年で4万匹に減り、10年後には1万匹になってしまった。つまり、黒尾鹿にとっての捕食者たちは、種が危機を迎えるほどの人口爆発を抑制する恐怖の天使だったのだ。
・捕食獣が天使である理由は、彼らがけっして獲物を狩りつくさない事にある。
・種内闘争の場合。捕食獣といえど、自分の獲物以外は意外とおとなしく避ける。しかし同種にはおとなしくない。それが目立つのはなわばり争いの時。実は、なわばりというのは、異種ではなく同種に対するもので、特にオスにとってはやっと獲得したメスを奪っていく可能性のある同種の雄こそが、もっともはげしい攻撃対象
・つまり動物は、仲間同士助け合うのではなく、かといって愚かだから誤りを犯すのでもなく、同種である事を慎重かつ確実に判断したうえで攻撃する。
・種内闘争の効果の第一は、個体の分散に役立つという事。生活場所の選択に気難しい種ほど、個体間の攻撃が激しい。このことは、なわばり制を持つ種の社会に繋がる。
・なわばり制の効果は絶大で、なわばりの所有者が必ず勝つ(先住効果)
・攻撃性やなわばり制がないと、つねに子や家族が危険にさらされ、それは種全体として見れば危険にさらされるため、種全体としては悪ではなく、むしろ文化的な社会制度。
・しかも、なわばり制は、ほとんどの場合は相手を殺すところまでは行かない。騎馬や嘴などの強力な武器を発達させた動物の場合、負けた相手が一定の姿勢を取ると、それ以上の攻撃ができなくなる一定の心理的機構が遺伝的に備わっている。
・たとえばオオカミでは、負けたオオカミが急所の首を差し出すと、勝った方はそれ以上の攻撃が出来なくなる。それでも攻撃の衝動を抑えられないオオカミの場合は、しばしば空気にかみつく。
・人間は不幸なことに、こうした抑制機構を遺伝的には持っていない。
・共食いの場合。共食いの率は、人口密度の増加によって高まる。
第6章:永遠にブロンドを守るために・一度に大量の子孫を産卵する昆虫などの種と違い、大型哺乳類となると、簡単に捨てたり一気に増殖したりという戦略を取るのは難しい。そこで、良いものの種を残そうとする順位制やハレム制が取られる事がある。
・順位制の例は、エサを食べる順番など。ハレム制は強いオスがメスを占有すること、など。
・こうする事の効果は、間引かれる場合には貧弱な個体から優先して間引かれるという効果があり、種全体としては有利であるという事
第7章:ふえ且つ増して地に満ちよ *ここから人間の話
・マングースは毒ヘビを倒す専門家だが、毒に対する免疫は持っていない。でも、蛇だけを倒しているものだから、蛇との戦い方の遺伝行動型を持っている。しかし、人間は何の専門家でもなくオールラウンダー。
人間の本能の欠如は驚くほど。たとえば、人間は性衝動は持っているが、性交渉の仕方を本能として知ってはいない。
・
人類の社会には、人口調節機構が存在していない・この理由のひとつには、生殖本能の喪失に伴って、集団生活が種の維持のために不可欠になった事にあるのかも知れない
・では過去の人類はいったいどうしていたか。ひとつは、社会的な掟やタブーを発明して、人口問題を解決した。その他の人口爆発を防いだものは、流行病と戦争。
・伝染病は、常に大都市で起こってきた。そして、抗生物質など何もない時代であっても、人口のほぼ3分の1が死ぬころには流行病はおさまった。これは不思議なことだが、要するに病原と人との間に生ずる生態学的なバランスの問題なのだろう。
・戦争の場合:戦争の人口学的研究者によれば、戦争は過剰人口、とくに人口の中で若い人間の率がいちじるしく高いときに起きる。これは過剰人口となると戦争が起きるという意味ではなく、そのような人口構造が心理的に作用し、外交的・経済的問題を戦争という手段で解決可能な状態になるという事。
・政府はこうした人口構造を利用する事があった。
・戦争が起こり、人工的な重荷が下ろされると、その後当分の間は戦争は起こらない。その条件がなく、また継続も出来なくなるから。人口的な緊張状態は、むかしからこうして戦争によって自己弛緩に達する事が多かった。
・いまだかつて人口問題を理由におきた戦争はない。しかし結果として見れば、人口学的な効果は同じ。
・ネズミは、集団同士で居住地域をはっきり区別している。しかし集団の個体数が増えすぎると、隣の集団に集団的に攻撃を仕掛ける。その殺し合いで個体数が減ると戦争をやめ、また元の平和な集団同士に戻る。人間はネズミに似ている。
・戦争学については、G.ブートゥール『戦争』、『社会生物学』を参照。
・人という種は、内因性の人口調節機構が弱い。そこでかつては外因性の調節機構に頼ってきた(飢え、伝染病など)。内因性として使われる手段が戦争であるとは、何とも情けない。すでに優生学を実施している動物もあるというのに。
・これまでみてきたように、
動物の社会は個体の生活を守るようにはできておらず、社会はあくまで種のためのもの。
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