
聴きはじめて1分で「これは超傑作だ」と感じ、聴いている2時間のあいだ圧倒されっぱなしでした。終わったらまた最初から全部聴き、翌日も聴き…何回繰り返したでしょうか、はじめて聴いた時の戦慄は今も消えません。若いころ、はじめて
ジョン・コルトレーン『ライブ・イン・ジャパン』を聴いた時にふっとばされて、何日も何日もひたすら聴きつづけていたことがありましたが、そういう経験って決して多いものじゃないんですよね。
シェーンベルクが死の寸前まで着手していながら遂に完成させられなかった未完の大作、「モーゼとアロン」です。
旧約聖書の「出エジプト記」に沿ったオペラですが、物語と音楽の絡みがただ事ではありません。ここも色々と感じたことがあるのですが、それより先に吹っ飛ばされたのは音楽。このオペラ、音だけを取り出してもすごいの一言、作曲家になりたいのでもなければ、音だけだってお釣りがくるほど。でも、音圧や勢いやアヴァンな音の羅列だけで2時間も聴いてられるほど音楽の緊張感が続くなんてありえないという事はノイズミュージックやフリージャズで経験済み。
この魔術の一端は、1分にも満たない冒頭の序章の中にもすでにあります。明らかな音列技法で、ド#、レ、ソ#、ファ#、ソ、ファ、シ、ラ、ラ#、ド、レ#、ミ、という音列とその反行。そして、このセリーとのひもづけが物語全般に張り巡らされています。そのすべてに僕が気づけたとはとうてい思えませんが、3回も4回も聴いているうちに、「ああ、なんで統一感を感じるかって、ここが移調した上で音列の開始音が変わるからモードを変わってるように感じるからなのか」とか、色々と見えてくるところがあって、魔法の一端が聴くたびに少しずつわかってくるような気がして、その都度ためいき。
横のつながりだけでなく、縦の悦楽も見事で、無調時代から初期の12音列技法のシェーンベルクの作品にある、構図重視で色彩感覚に乏しいという特徴は既にありません。なにせ、序章の最初に鳴る音が四度堆積和音から、バスは半音上に変化、トップはメロディ的には2度上ですが、和声的には半音下への動きがあるので、これ自体がドミナントモーションでないにもかかわらずプログレッションに感じ、しかもサウンドのカラーが見事。
シェーンベルクは完全にオートメーションでこれを作曲したわけではなく、色々と融通をきかせたような気がします。というのは、自分でアナリーゼしてみたんですけど、どうやったって綺麗な音列に出来ないんですよね…僕のアナリーゼに問題があったのかも知れませんが(^^;)。これは和音の響きを鑑みて音を入れ替えたりしてるんじゃないかな、とは思いました。でも、それでいいですよね。システムではなく作品が大事なんですから。というわけで、シェーンベルクの音列技法は、それ以降の人に比べるとかなり自由度が高いですが、それだけにセンスが問われるというか、音感が極度にすぐれていたんじゃなかろうかと思わされます。さらにこの形を移調して対位法的に重ね…1分に満たない序章だけで、もう語り尽くせません。
こうやって指摘できる凄さもあるのですが、何をすごいと感じているのか自分でも分からないところがあって、魅入られたような気持ち。シェーンベルクといってこれを代表作にあげる人も少ないかも知れませんが、機能和声法から離れて以降では、ピアノ曲と同等かそれ以上の作品。
個人的にはバッハのマタイ受難曲に匹敵する大傑作と感じます…いや、それ以上かも。
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