1968年製作、
後にも先にもこれを超えるSF映画はないのではないかというほどの超がつくスケールのSF映画です!
僕もはじめて観た時は、その映像や音楽や話のスケールの大きさに圧倒されまくりましたが、「ちょっとなに言ってるのか分かんないぞ」という所もいっぱいあって、いまだ自分の中で結論の出ていない映画でもありました。今回、ついに
原作小説を読んだもので、今度は分かるかもと思い、人生何度目かのチャレンジです!
いやあ、昔理解できなかった所は、今回も分かりませんでした(^^;)。しかし、そういう部分は別に制作側だって分からせようと作ってもいないし、そもそも制作者だって分かっているとは限らない事が分かった気がするので、これはこれで進歩かも。あの不思議な終盤についての僕なりの見解は、
小説版『2001年宇宙の旅』の感想に書いてみましたので、興味がありましたらそちらをご笑覧ください…マジで大した事書いてないので、突っ込みはナシです。。
で、おそらく人生で4度目ぐらいに観たこの映画ですが、意外と覚えていない自分にも、
意外とシンプルな内容であることに驚きました。映画は大きく分けると4パートで出来ていました。パート1は猿人のくだり。パート2は月の裏側に埋められたモノリスを人類が発見し、その偵察をしにフロイド博士が月に飛ぶ話。あの万年筆が宇宙船の中をぷかぷか浮かぶシーンはここです。パート3は、その18か月後に組織された木星捜査船の話。HALコンピューターの反乱するエピソードですね。パート4がイメージ映像の雨あられ、です(^^)。でもって、仮に映画を観て分からずとも、原作小説さえ読めばパート1から3までの流れは理解できると思うので、ストーリー的には問題なし。もしかすると映画は小説を読ませようとして、細かいストーリーは敢えてぼかしたのかも知れません。
パート4も、あの現実かどうかも定かでない映像が、実際にボーマン船長が観たものなのか、それともボーマン船長の内的体験なのか、また最後の胎児は何かの象徴なのか…といった所は、そもそも答えなどないので、観ている人の解釈次第でいいのだと思います。
ただ、僕は子供のころから、煙に巻いたような終わり方をする物語というものにいくつか出会ってきて(『
デビルマン』や小説版『幻魔大戦』など)、最終的にそういう物語とは、物語として悪いものだと思うようになりました。単純に、まだ結論が出てないなら最初から本など書くべきじゃないんじゃないの…それだけです。というわけで、ストーリー自体は、意外とシンプルに点数がつけられるんじゃないかと。
久々に観て驚いたのは、その映像美でした。宇宙空間を流れる光の海もそうですが、
月面宇宙船や木星探査船、そして月の表面といった具体物の描写の見事さに息をのみました。これって68年ですよね?
ウルトラセブンの頃と同時期の映像とは信じられません。
僕は第2次ベビーブーム世代で、子供のころからSFアニメやSF映画に馴染んだ世代です。だから、
ガンダムでもスターウォーズでも浴びるほど観てきたわけで、月面の描写も当たり前のように見ていました。でも、どれも「作り物」として観ていた気がします。ところがこの映画の宇宙の描写は、無重力の中の宇宙船を歩くために磁石のついた靴を床にくっつけて歩き、月は常に一面しか照らされず、自分の呼吸以外の音は聴こえず…マジで「ああ、これが宇宙か」というリアリティでした。この空気感を感じるだけでも、この映画は見る価値があるかも。う~んすげえ、
この映像は古典の名に値するものと思います。
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