
僕の
ショスタコーヴィチ体験は
交響曲第13番《バビ・ヤール》からで、あれに圧倒的な衝撃を受ける事からはじまりました。そして13番以降を追いかけたらどれも大当たり、この人すげえ…と思ったんですが、交響曲の真ん中あたりのものをいくつか聴くと「あれ、実はすっごい保守的な人?」みたいな。ソ連のプロパガンダ作曲家なんていう話も聞いたことがあったので、スターリン存命中の作品はロシア共産党のお眼鏡に適うような作品しかないのかなと思って、交響曲も若い番号のものは追いかけなくなってしまいました。
ところがショスタコって初期のころは前衛的な作風だったらしいんですよね。交響曲で言うと1番2番はそうらしい…というわけで、古典~ロマン派より新古典や印象派以降の近現代音楽の方が好みの僕が手を出したのが、交響曲第1番の入ったこのCDでした。録音は1988年で、迫力のある演奏と録音でした!
交響曲第1番 ヘ短調 op.10。ペテルブルグ音楽院に学んだショスタコの卒業制作だそうです。で、先生の
グラズノフに見せたら「冒頭の和声付けが斬新すぎるのでこうしなさい」と直されたものの、初演時にもともと自分が作った物に差し替えて演奏、グラズノフ先生をムッとさせたんだそうで(^^;)。
その
「斬新すぎる」という冒頭に僕の期待は高まりまくったわけですが、現代の耳で聞くと…普通(^^;)。。ホールトーン気味なところが斬新だったのかも知れないけど、楽曲全体で眺めるとそのシステムで書かれているわけではなくあくまで部分的な効果としての使用だし、そもそも減5度をそこまで強調してないのでそんなに全音階を感じないし、みたいな。
だからといってこのシンフォニーがつまらなかったわけではなく、まったく違う所に感動しまくってしまいました。4楽章で出来ていて、1楽章が敢えて言えばソナタ形式、音楽は構造の緻密さではなく物語の流れを追うような作り方でロマン派的。こうやって活字にすれば典型をなぞっているだけに思えなくもないですが、実際にはとんでもない創造力であたり前なところなんて無し!
交響曲第7番 ハ長調 op.60《レニングラード》。初演は1942年と第2次世界大戦真っ只中。レニングラードはショスタコーヴィチの故郷で、ナチに抗議した交響曲として知られています。考え方は色々あるでしょうが、僕は音楽の純音楽部分が好きで、音楽で音楽以外の事を積極的に語るのは好きじゃありません。それだったら音楽じゃなくて言葉で語ればいいと思っちゃうんですよね。総合芸術的なものとしてそういうものを作るのはアリだけど、その場合でも音自体の良しあしと音楽以外で語られた内容は別だと思います。たとえば、広島の悲劇を扱った曲だからと言って、それは音楽の完成度と関係ない、みたいな。
7番《レニングラード》は、1楽章の鼓笛隊リズムは明らかに軍楽がモチーフ。2楽章のリズムもそうかも。3楽章アダージョも讃美歌的でそれは音楽自体というよりもその意味に主題が置かれているのは確実、4楽章は…というわけで、音楽の作り自体が音そのものを向いていないと感じました。そして純粋に音楽だけを取り出してこの交響曲を聴くと…僕にはそれほどのものとは思われなかったです。スマヌス。まあそれぐらい、大戦当時のヨーロッパ戦線はナチに対する憎悪が凄かったとか、音楽だけやってて良いのかという疑問があったとか、そういう面もあったのかも知れません。
というわけで、このCDの価値は、僕にとっては曲も演奏も録音も素晴らしかった交響曲第1番。ある時期まで僕はロマン派交響曲って
マーラーや
シェーンベルクが切り札と思ってましたが、ある面でその先を行ったこういうものもあるんですね。パレットの数が異常に多く万華鏡のよう、1番もやっぱり純音楽ではなくロマン派的な物語音楽的で、一歩間違えると一貫性のなくなってしまいそうですがギリギリで踏みとどまって、腐る直前の桃が一番うまい状態、みたいな。ロマン派的な傾向にある交響曲の中でも出色のものだと思いました。
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