
リアルタイムを知らないもんで、小椋佳さんは服部克久さんや
星勝さんのような昭和歌謡の職業作曲家と思ってました。中村雅俊「俺たちの旅」や堀内孝雄「愛しき日々」といった提供曲から推測するに、服部克久さんのようなちゃんとした音楽教育を受けた人ではなく、ギターでコードを押さえてメロコード譜を作って、あとはアレンジャーに丸投げのフォークな人なのかな、みたいな。
これは3枚組のベスト盤。テレビCMで、エレクトリック・アップライト・ベースをバックに歌う曲が流れていて、「一度ちゃんと聴いてみたい人だなあ」と思って手を出したCDでした。このCDには80ページという豪華なブックレットがついていたのですが、そこではじめて小椋さんは71年にフォークシンガーとしてデビューしていた事を知ったのでした…小椋さん、知らなくてすみませんでしたm(_ _)m。。
アレンジは取ってつけたよう、ミックスはリヴァーブまみれな上にアンサンブル無視で楽器を横一線に並べるだけ。さらに演奏はスタジオで初見でパッと終わらせた程度のもの…というわけで、アンサンブル面や演奏はちょっとね(^^;)。まあでもJポップスの作家のセルフカバー・アルバムって、予算節約なのか大概こうなので、ここは仕方ないのかも。。
というわけで、
期待は曲。小椋さん、作風はちょっとジジくさいけど、若い頃に、布施明「シクラメンのかほり」と研ナオコ「泣かせて」に猛烈に感動させられた事があったんです。「シクラメンのかほり」のサビで
同じメロディを4回繰り返したり、1コーラスはサビを飛ばすといったアイデアは、言葉をイメージしながら作曲しないとなかなか思い浮かばないものじゃないかと思うんですよね。そういう意味で言うと、作詞も作曲も自分でやってるが故の「歌」を作れる数少ない作家だったのかも知れません。実際、「海辺の恋」あたりは、新作として、洋楽の物まねではない現在の日本の歌を作った作品と感じました。
詞も、さすがに素晴らしく感じるものがありました。それどころか、この人のいちばんの才能をあげるとすれば作詞かも。「君を歌おうとして」の詞「留守と知っていながら3回も掛け10回悔やむ」みたいに、韻や修辞法に感心する点が多かったです。
ただ、聴いていて嫌だと思った事も。頭でっかちというか、評論家のように口で言うばかりで実践されていないというか、そういうひ弱さを感じてしまいました。みんなでサッカーの話をしていたら、あれこれと御託を並べるからさぞ上手いやつなのかと思いきや、いざみんなで遊んでみたらボールすらまともに蹴れない奴だった、みたいな(^^;)。気のきいた詞だから感心はするんだけど、実感のこもった言葉に感じられないから心に刺さる所まで来なかったです。「初めての空を飛ぶ鳥の心を映して」みたいな詞って、リアルではなくてイメージじゃないですか。そういう頭で考えるばかりの麗句がちょっと多すぎるな、みたいな。
もっと言うと、その美辞麗句のうしろにある「小さな幸せをかみしめる人生讃歌」みたいな歌声喫茶的な感覚に、僕は同意しかねるのかも。
梶原一騎や
東映やくざ映画の洗礼を受けた70年代生まれの僕としては、そんなすぐに聞きわけ良くなっちゃうんじゃなくて、もっと抗って欲しい、毒もリアリティも欲しい、みたいな。小椋佳より
矢沢永吉の方がリスペクト出来るよな、みたいな感覚って分かりますかね。。
この「頭だけで考えてる」感は、音にも感じました。小椋佳さんって薩摩琵琶を弾くんですが、相当にアレなんですよ(^^;)。そこまで下手なら練習するなり人前で弾くのをやめればいいのに、それはしません。それは歌唱にも言えて…下手なだけならまだしも、声量が驚くほど無いです。という事は、楽器も歌唱も驚くほど練習しないんだろうな、みたいな。きっと考えるだけでやらないんじゃないかと。こういう頭でっかちでひ弱な感じを、おそらく世間も見逃さなかったのかも。プレーヤーとして生き残る事が出来ず、作家というポジションになっていったのって、そういう所かも知れません。
ところで、僕がテレビCMで良いと思った曲は、「今は、このまま」。曲調や詞から小椋佳さんの曲だと思い込んでいたんですが、実はビリー・バンバンさんの歌でした。じゃあなんで僕はこのCDを買ったんだ…。
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