
クラシックの録音の紹介第1号にしたいと思っていたのは、ベートーヴェンでもバッハでもなく、武満徹という作曲家です。高校の頃、すでにポピュラーやジャズを浴びるほど聴いていたので、如何に壮大な事をやられても、ベートーヴェンやモーツアルトの3和音は、私にはサウンドとして退屈過ぎたのだと思います。きっと、クラシックをつまらないという人の多くは、私に限らず、何にもましてサウンドがつまらないと感じてしまうんじゃないでしょうか。これは今でもそうで、サウンドがつまらない事を受け入れた上で他の部分を聴く、みたいにしないと、クラシックの多くは聞くに堪えないのです。それを補って余りあるものを見つけられないと、もうダメ。しかし、武満という人のサウンドは違いました。総毛立つような、まったく体験したこともないようなサウンドだったのです。
現代音楽というものを知ったのはもう少し前の事だったのですが、その中でも特異な、なにか計り知れないような深遠なものを感じさせられました。オーケストラが1音奏でるごとにゾッとするというか、あれだけ大量に音楽を消費してきて、今まで自分が聴いてきたものは音楽のある1部分だけだったのではないかと思わされました。以降、武満さんの録音は、お金が貯まる度に買いあさり、片っ端から聴いていきました。それで行き着いたのは、3つ。オーケストラ音楽と、ギター音楽と、ピアノ音楽。オーケストラの極めつけが、この録音だと思います。この録音は、武満さんのオーケストラ作品の代表的なものが網羅されています。有名な曲では「地平線のドーリア」とか、琵琶と尺八協奏曲風の「ノーヴェンバー・ステップス」あたりかと思いますが、それ以降の音楽が、これに輪をかけて凄いです。前者はどこかサウンドイメージ1発という感じ(しかしそのサウンドがすごい、初めて聞いた時には本当に鳥肌が立った)ですが、以降の作品になると、構造までが見事というか、よくぞここまで…と思わされるものでした。現代音楽というジャンルは、幾つかの方向性を持っているかと思うのですが、これは旋律/和声のシステム自体の変更、というラインで捉える事が可能なんじゃないかと思っています。このラインの良いところは、前の時代にあったものと切り離されたものでは無い事です。だから、前の時代が人々が作ってきた貯金をそのまま使うことが出来るので、最初から深いところから始められること。
今も続いているのかどうか知りませんが、昔はサントリーがスポンサーになって、年に1度、日本人の現役作曲家ひとりをとりあげた「作曲家の個展」というコンサートシリーズをやっていました。この録音は、そのシリーズで武満さんが取り上げられた時のライブ録音です。まだ「オリオンとプレアデス」が初演という所に時代を感じますが、これがリアルタイムだったんです。今やろうと思ったら、スコアをもとに解釈して…ということになるんでしょうが、リアルタイムなので、作曲家と指揮者が話し合い、リハーサルで細かい変更が行われ…と、細部にわたって血肉化されたような、まるで生きているような演奏を聴くことが出来ます。
いま、こういう新作が出てくるでしょうか。また出て来たとして、どうやればそれを探せるのでしょうか。それは難しい状況になってしまったと感じます。いま、クラシック系の雑誌を見ると、レコード会社の広告ばかり、新録といってまたベートーヴェン、期待の新人がリストを弾いて、論評は上から目線で「解釈が」とか「タッチが」とか…あれ、読んでいる人は面白いんですかね。私には業界ぐるみの3文芝居にしか見えません。そう考えると、第2次大戦後から80年代初頭というのは、音楽にとっては色々な要素がうまくかみ合った最良の時代であったのかもしれません。時代が良かったというより、作曲家にせよメディアにせよスポンサーにせよ、そういう時代が生まれるに値する努力をした人たちのいた時代であった、そんな気がします。
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