
そんでもって、こちらが原作の「悪魔の手毬唄」です。「悪魔の手毬唄」も、金田一耕助の推理小説の中でも代表的なもののひとつ。あとは「八つ墓村」「獄門島」「犬神家の一族」「女王蜂」あたりが有名でしょうか。で、映画は、最初から犯人やトリックが割れたりしないように、犯人が変わっていたりと少し変化をつけられていることもあるんですが、「悪魔の手毬唄」は犯人やら何やらがそこまで大幅に違いません。僕は映画に感銘を受けたものだから小説まで読んでしまったクチです。ですから、この小説だけを読んで面白いかどうかは、今となっては自分では分かりません(^^)。ただ、映画を見た後に読んだという前提条件で話すと、面白かった!!
映画版は、前の記事に書いたとおりに感動しまくったもので文句なし!では、その映画版と比べて、原作はどこが良かったか。まず、情景の描写が素晴らしかった!!舞台は田舎の温泉地なんですが、山のまわりに人気が少ない様、日本の原風景、夜道はちょうちんをともして歩くとか、昔の日本家屋の描写…こういったところが素晴らしくって、なんだか時間旅行している気分(^^)。。これは映画版ではあまり味わえなかった素晴らしさでした(^^)。
次に、物語の軸になる手毬唄の読み解き。映画では、単に、昔からこの地に残る唄に沿って殺人が行われていく、という程度のものだった手毬唄が、原作だとその背景がかなり深く描かれていて、めっちゃくちゃ面白い(^^)。この辺りは、書いても犯人や動機のネタバレにならないと思うので、ちょっと書いてみると・・・原作では、冒頭から手毬唄に言及されてます。だから、手毬唄と事件の絡みが、昔の日本の風習や社会構造と絡み合うようで、これが独特のおどろおどろしさ。で、この手毬歌が凄い。これは数え歌(手毬歌なので、まりつきをしながら数が数えられるようになっている)なのですが、詞がえぐいのです。たとえば、その3番は…
おらが在所の陣屋の殿様 狩好き酒好き女好き わけても好きなが女でござる
女だれが良い錠前屋の娘 錠前屋器量よし小町でござる 小町娘の錠前が狂うた
錠前狂えば鍵合わぬ鍵合わぬ 鍵が合わぬと返された この歌詞、パッと読むとただの歌に見えるんですが、実は隠喩になっていて、土地の暴君を揶揄する内容。こういう読みときをしていくと、めっちゃくちゃ面白いのです。すべての歌の韻になっている「かえされた」は「返された」。殿様に召されながら、気に入られないで「突き返された」、つまり「殺された」。錠前屋の下りは、「錠前と鍵が合わずに返された」、つまりセックスの相性が合わなかったので殺された、となるわけです。もう、こういう読みときからして推理小説のだいご味満載なのです!
な~んて感じで、映画では犯人の悲しい動機を重点的に描いていましたが(時間的にこれは仕方がないし、それが成功していた)、小説は細部が見事!金田一ものの小説を初めて読むなら、僕は「獄門島」や「犬神家」よりも、これを推薦します(^^)。。
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