
ひとつ前のキャンディーズの記事で「昔の歌謡曲は~」みたいなことを書きましたが、日本の大衆音楽で最も良い時代というのは、もっと前の事だったんじゃないかと思っています。それは、明治~大正~昭和を跨いだ頃。この時代、大衆音楽というもののあり方自体が、今みたいな嫌な意味での商売音楽なんかじゃなかったんじゃないかと思います。また、音楽そのものにも、当時の日本独特の美観が反映されているというか、西洋の猿真似ではない文化的脈絡が生きてたんじゃないかと。
中山晋平という作曲家がいます。「てるてる坊主」「シャボン玉とんだ」なんかを書いている人です。昔のコロムビアの録音では、これが三味線とか、和楽器を使って、すごくいい感じの伴奏がついています。音楽的に言えば、よく演歌なんかで言われる「ヨナ抜き音階」(4度と7度を抜いた5音音階という意味)が使われている曲が多いです。これ、脱亜入欧で西洋音楽一辺倒だった当時の日本の楽壇で、相当に意識的にやってたんじゃないでしょうか。今もそうですが、簡単に全員が同じ方向を向いてしまう日本の社会で、何が正しいかをきちんと見定めて、仮に大方と違っていてもその筋を通すという人は、本当にすばらしいと思います。
でも今回は、「てるてる坊主」とかの話じゃなくって、別の歌音楽の話。この人、劇音楽も書いています。その中で一番好きな歌が「ゴンドラの歌」。ツルゲーネフの小説『その前夜』をテキストにした新劇のために作られ、更に黒沢明の映画『生きる』の主題感も使われています。最初にこの歌を知った時には、鳥肌が立ちました。詞といい曲といい、何という叙情性。詞なんて、ほとんど文学です。
いのち短し 恋せよ乙女
赤き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の冷えぬ間に
明日の月日のないものを
この後も「ここは誰も来ぬものを」「心のほのお消えぬ間に、今日はふたたび来ぬものを」などの詩が続きます。…諦観というか、仏教的というか、こんな素晴らしい詞が他にあるでしょうか。
しかしこの乙女という言葉、他にも言い換えが可能なんじゃないでしょうか。「明日の月日のないもの」は、本当に乙女だけなんでしょうか。
これは黒沢監督の「生きる」という映画にこの曲が使われた際も、意識されていたんじゃないかと思います。一生懸命働いてきた初老の男性が、自分の余命があと僅かだと知らされ、自分は生きてきて無意味だったと感じる。こうした視点は、作詞をした人だけが達した境地なんでしょうか。もしも、ある文化が全体で同じ理念を共有していたとしたら?…じつは、かつての日本文化とは、このような理念が共有されていた文化だったんじゃないかと思うんです。そして、それが歌という形で残っている。これがまた、5音音階という、なんかかつての日本を想像させるような、からっとした曲調と混じると、独特の叙情性を生み出すんです。
あまりの名曲であるうえ、オリジナル発表の時は、音楽をレコードで発表するという文化ではなかった時代の事なので、様々な時代にさまざまな人がこの歌を歌っています。録音も多いです。森繫久弥さんの歌いが有名ですが、他にも森光子、美空ひばり、ちあきなおみ、加藤登紀子…。色々ありますが、明治期以降の日本の唄を研究してきた声楽家の藍川由美という人が、中山晋平さんの作品だけを録音したという素晴らしいCDを発表しています。また、選曲が素晴らしい。実は、「ゴンドラの唄」だけであれば、他にもっと好きな録音があるんですが、ここでは、当時の日本文化が持っていたであろう色々なものが詰め込まれた中山晋平作品集という意味で、このCDをあげておこうと思います。
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