インパルスだけでなく、フランスのアクチュルというレーベルも、アーチ―・シェップのアルバムをたくさん発表しました。そして、これら60年代に発表されたシェップのアルバムは、どれもそれぞれにコンセプトがはっきりしていて、実にすばらしいです。ブラスのアンサンブルとフリーの両立とか、あるいはスモールコンボでのどフリーとか。で、毒々しいジャケットが目立つこのアルバムで最も印象に残るのは、1曲目"THE MAGIC OF JU-JU"です。アフリカのカリンバ・アンサンブルを思わせるような打楽器群のポリリズミックなパターンに、シェップのあのエッジの効いたサックスが切り込んでいきます。サックスは、フリーというよりもソウルフルで、切れ味鋭いだけでなく非常にメロディアスでもあります。この辺りに、実はアフリカン・アメリカンのフリージャズの特徴が表れ始めているのではないかという気がします。つまり、フリーというものが、何か自分の内側から出てくる表現としてあるもの、みたいな。これは、このアルバムがリリースされるよりも前にあったフリージャズではまだはっきりしていなかった考え方だとも思うし、またフリーである事に色々と理屈がくっついているヨーロッパのフリーともまた違った視点なんじゃないかと。で、5分以上続いたサックスとパーカッションだけのフリーの後に来るのは…変化じゃなくって、ドラムが加わります。足し算です。で、更に加熱していくプレイの先にあるのは…変化じゃなくって、ベースの参加です。音楽は完全に一直線、そして変化するのではなくって、まったく同じ状況のまま、プレイだどんどん加熱していって、音圧はどんどん増していきます。変化しないものだから、聴いているこちらもトランス状態みたいになってきます。…なるほど、もしかして「マジック」というのはこの事か?こんな一直線の演奏がノンストップで17分以上続いた揚句…さらに管楽器が加わります。。う~ん、恐ろしく単純、だがそれがいい(^^)。。 フリージャズのサックスで凄いと思う部分のひとつは、ノンストップで何十分も演奏しているのに、聴いていて飽きない事です。いや、もちろん飽きるサックス奏者の方が多いんですが、コルトレーンとかシェップって、ぜんぜん飽きないんですよ。飽きないという言い方は変ですね、すごくいいんです!このアルバムの"Magic of JU-JU"なんて、20分近くサックスは吹きっぱなしなのに、もっと聴いていたかったと思うぐらいです。ポップスなんて、3~4分の曲でも長いと感じてしまうものばかりだというのに。。
60年代のアーチ―・シェップには、ほかにも組曲風の『FIRE MUSIC』とか、なんとも強烈なグルーブを見せる『yasmina, a black woman』とか、外れなしというぐらいに、いいアルバムのオンパレードです。それぞれのアルバムに個性がありますが、共通して言えるのは、カッコいい事です!表現とか、技術とか、そんなことを言いいたくなくなるほどの強さが音楽の中にあります。プレイヤーとしては不器用な方かもしれません。しかし、いや、だからこそ、それを補って余りあるほどの情熱を音楽にぶつけ続けたその姿勢には、感動すら覚えてしまいました。 残念だったのは、80年代以降のアルバムが、ヘタクソなスタンダード集とかバラード集だったりと、なんか日和って見えた事でした。フリージャズの宿命でしょうか、アンチフリーの評論家とかから「ジャズが出来なくって、メチャクチャやってるだけ」とか、言われたんじゃないかと、勝手に思ってます。ほら、ピカソを「ヘタなだけ」とかいう人って、絶対にいるじゃないですか。まあ、そういう批判に有無を言わせないという事も少しはやる必要もあるかもしれませんが、あんまりそれに相手しすぎると、日和って見えちゃうんですよね。だって、批判によって行動が変わっちゃうわけですから。シェップは、80年以降は「俺だってジャズぐらいできるんだよ」って付き合っちゃった感じに見えるのです。自分で演奏もしないくせに、自分の分からない音楽は何でも批判するようなクズ評論家なんか相手にせず、わが道を突き進んでほしかった。そういう期待をしてしまうほど、60年代のシェップのアルバムは魅力的なものばかりなのです。