
巨匠バックハウスが演奏した、
ベートーヴェンのピアノソナタ全集です。CD8枚組。こういうのを買うと、楽譜と一緒にしばらくはこのCDだけと付き合う事になって、音楽に埋没していきます、なんという至福の時(^^)。僕がこれを買ったのは学生の頃で、当時は音楽を楽しむというのではなく、ピアノ練習のためのリファレンス。また、演奏だけでなく作曲の授業でも、ソナタ形式の勉強でベートーヴェンのソナタは何度も取りあげられて(ソナタ形式は何十曲も分析させられた…『楽式論』の教科書にも、シェーンベルクの『作曲の基礎技法』にも、ベートーヴェンはガッツリ出てくるので、避ける事は不可能なのです)、そんなわけで貧乏学生だった僕が昼飯のお金を節約してお金を貯めて買った思い出の品でもあります。でも…当時の僕の中ではあくまで教材みたいな位置づけだったもんで、授業の課題曲しか聴いてなかったのです(^^;)。そんなわけで、勉強でなく趣味として聴くのも、全曲通して聴くのも今回が初めて。いやあ、まる2日かかりましたが、すばらしい2日間でした。夢中になりすぎて、途中から仕事が出来なくなったよ。
先に、ちょっと予備知識を。まずはベートヴェンのピアノソナタについてです。ベートーヴェンはピアノソナタを32曲書いています。有名なのは、8番「悲愴」op.13、14番「月光」op.27-2、23番「熱情」op.57。どれもすごく有名なので、クラシックを聴かない人でも、聴いたら「この曲か!」って分かると思います。これに次ぐところだと、12番「葬送」op.26(第3楽章が葬送行進曲^^)、15番「田園」op.28、21番「ワルトシュタイン」op.53、29番「ハンマークラヴィア」op.106 あたりかな? そして、
ソナタというクラシックでもっとも完成した書法の大家がベートーヴェン、つまりソナタを知りたければまずはベートーヴェンのソナタなのであります!
そして、バックハウスというピアニストについて。バックハウスはドイツのピアニストで、あのヒトラーもバックハウスの大ファンでした。それが災いして、後にバックハウスはアメリカでの演奏を拒否された事もあったそうで(^^;)。けっこう律儀な演奏をする人で、エスプレシーヴォではなくノントロッポな人。得意レパートリーはベートーヴェンですが、それもそのはず
バックハウスはベートーヴェン直系のピアニストなのです。バックハウスの師匠は
ダルベール(作曲家ピアニスト)、ダルベールの師匠は
リスト、リストの師匠はツェルニー、ツェルニーの師匠はベートーヴェン、というわけです(^^)。そんなわけで、ベートーヴェンのピアノ曲全集といったら、まずはバックハウスの演奏にあたるのが筋だったりします。
バックハウスは、ベートーヴェンのソナタ全集を、モノラル録音時代とステレオ録音時代で2回録音(!)していますが、このCDは後者。齢をとってからの演奏という事もあるんでしょうが、楽譜と見比べて聴くと、たまにミスします(楽譜見てないと気付かないかも)…が、もうそういうのはまったく問題じゃない、演奏の表現が実にナチュラルで(とってもエスプレシーヴォという意味ではないです、むしろnon tanto)、かといって勝手に解釈しちゃうんじゃなくって表現やら速度やらが楽譜に的確で、なんというか…素晴らしい。自分の気持ちいいように演奏するのは誰だってできますが、楽譜の指示通りの表現で、しかもこれぐらい調和した演奏って、素晴らしいです。若いころは個性バリバリでスコアに忠実であろうがなかろうが劇的な演奏するプレイヤーが好きな僕でしたが、大人になると、やたら劇的にするのではなく、作曲家の意図をくみ取りながら音楽の調和を目指すような節度ある演奏に魅力を感じます。特にベートーヴェンのソナタみたいなのは、構造美に目くばりした演奏が好き。
僕は、このベートーヴェンのピアノソナタでソナタ形式の勉強をしました。第1主題や第2主題がどのように変奏されるか、そしてどのように展開部を作るか、どう違和感なく展開部に繋ぐか、こうした素材をどう広げて構造を作っていくか…これが聴いていて見え始めると、ベートーヴェンのソナタはその構造の見事さに魅了されます。例えば有名な熱情ソナタの1番なんて、経過句とかを除いてほとんどどの部分も第1主題と第2主題のなんらかの変奏、それだけなのにこの構造の見事さよ。これは、同じものを変奏もせずにただ繰り返すだけのポップスのアレンジャーに聴いて欲しい。
もうひとつ今回聴いていて思ったのは、ベートーヴェンって即興の達人だったんだなあと思わされました。本当に少ない動機を様々に変奏し、第1主題と第2主題と展開部と…というようにそれをソナタの様式を活用して見事な構造を作り上げるそのやり方が、すごく即興的に感じるんです。ロックやジャズの人がそこに気づいたら驚くかもしれませんが、長大な曲の元となっている動機は本当に僅かで、しかしそれをロックや今のポップスみたいにただ3回レピードするんじゃなくて、変奏したり経過句を挟んだりして巨大な建造物にしてしまう感じ。これが即興じゃなかったら、もっといろんなものを構造に組み込む気がしますが、元になる素材がこれだけシンプルなのは、即興的に書いたからなんじゃないかと。32番の2楽章なんて即興そのものみたいな感じですしね。クラシックにも即興演奏というものがありますが、クラシックの即興の場合は、こうしたモチーフや主題をどう変奏し、どう展開し…というものを即興的に作ります。和声の上でメロディを即興するビバップやハードバップ的なジャズの即興やロックのソロ部分の即興とは根本的に違います。ジャズやロックの人の即興ってスケールや和声が見えるのに対して、クラシックの人の即興って、メロディや主題同士の絡みや起承転結が見えるでしょ?それって、ベートーヴェンのソナタからの影響が強いんじゃないかと思います。実際、クラシックの即興の実習だと動機や大楽節や主題を作らされますからね。これがベートーヴェン以降のクラシックの作曲技法を作り上げたような気がしました。
というわけで、
聴いていてその構造美に引き込まれる至福の9時間でした。ベートーヴェンのピアノソナタ全曲、これは音楽の偉大な財産なんじゃないかと思います。しかも最初に聴くならベートーヴェン直系のバックハウスの演奏じゃないかと。音楽が好きな人は、ぜひ一度トライされたし!音の印象じゃなくて構造の細部に耳を傾ければ、クラシック音楽ファン以外の人もきっとその見事な建造に感動するはず(^^)。
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