
モダン・ジャズというのは、ソロ奏者の即興がひとつの売りとなっている音楽だと思います。楽曲も、曲の最初と最後にテーマと呼ばれるパートが演奏されるだけで、真ん中部分はソロ奏者のアドリブ演奏が延々と続く感じ。昔の日本のジャズ喫茶なんかでは、このソロを聴いて演奏者を当てるというゲームまで流行ったとか。
ところが、メインストリームのジャズって、曲は基本的に機能和声の長調か短調で書かれるので、ソロアドリブもその和声内で演奏される事になり、それほどソロに差を出せる筈もありません。それこそ、「ある人特有のフレージングが」とか「すごく速い演奏」とか、ほとんどのソロというものが、この範囲からはみ出る事がありません。そこに独創的なアプローチを持ち込むというのは、ソロがいいとか悪いとかそんな生易しいものではなく、楽理から掘り返さないと難しい。そんな中、若い頃にジャズのアドリブ・ソロを聴いて「うわ、これは凄い…」と思わされた演奏家がいました。それが、エリック・ドルフィーです。
この人、ものすごく巧いのは間違いないんですが、この人の音楽を聴いて「すげえ」って思う人のほとんどは、うまいからすごいと思っているのではないと思うのです。とにかく、独創的なソロをとります。フレーズも非常に跳躍的なラインを作ってみたり、基調で悪魔の音程を挟み込んだり、とにかく個性の塊。かといって奇をてらうというのでもなく、実に見事にソロを構成していきます。
また、最初に聴いた時に驚かされたのが、バス・クラリネットの演奏。バス・クラリネットなんて、きちんと聞いたことが無かったのですが、ものすごい野太い音で、びっくりしました。もう、この音だけでやられてしまった。。
今となっては、ただただ様式を模倣するばかりで、たまにそこからはみ出てくる人も、いかにも浮ついたエンターテイメントっぽいのばかりになってしまった感のあるジャズ。しかし、ジャズが芸術と呼ぶに値する領域に足を踏み入れた時期も、確かにあったんじゃないかと思います。50年代から60年代にかけてのジャズを愛する人が多いのは、まさにこうしたジャズを愛する人が多いという事なんじゃないかと思います。それは、たまたま時代がそうだったというのではなくて、そういうことをやる人たちがいたから、時代がそうなったんじゃないかと思うのです。ドルフィーは、そのど真ん中にいたプレイヤーじゃないかと思っています。あまりに優秀なプレイヤーであったが故、チャールズ・ミンガスとか、ジョン・コルトレーンとか、数多のジャズ・ジャイアンツから引っ張りだこ。それが故に自身のリーダーグループを結成するのが遅れ、しかも結成から僅かの年月で若くして客死。プレイヤーとしてだけでなく、音楽家としても色々な可能性を感じさせる録音を残しているドルフィーですが、それがはっきりとした形になる前の死が悔やまれます。このCDは、プレイヤーとしてのオリジナリティーを存分に感じさせた名盤と思います。サックス吹きで誰が1番好きかといわれて、真っ先に浮かぶのが、僕の場合はエリック・ドルフィーです。
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