
大ヒットアルバム『
フォレスト・フラワー』と同じ1966年に発表された、チャールズ・ロイ・カルテットのスタジオ録音です。メンバーもフォレストフラワーと同じで、キース・ジャレット(pf)、セシル・マクビー(b)、ジャック・デジョネット(dr)。今見ると豪華なメンバーですね。
一聴して誰もが「
コルトレーンだ」と思うはず。バックバンドもバイト感覚で「コルトレーンをやればいいのね」みたいな感じ(^^;)。キース・ジャレットの演奏なんて、ブラインドやったらほとんどの人がキース・ジャレットと答えずにマッコイ・タイナーと答えるんじゃないかと。リーダーのロイドさんも、たとえばアルバムタイトル曲なんて、曲もサックスの演奏もコルトレーンそっくりです。これは完全にコルトレーンのエピゴーネン。しかもあの音楽の「なぜそうするか」ではなく、プレイメソッドやチェンジだけを模倣したように聴こえるので、上澄みだけさらったように聴こえてしまいました(゚∀゚*)エヘヘ。
でも、本人自身が誰よりそう思ったんじゃないかと思います。ロイドさん、このバンドを4年続けた後にバンド解散、かなり長期間にわたって音楽から離れてしまいます。その後は瞑想の先生になったりね。瞑想の先生になるなんて、まさに意味を求めに行ったわけじゃないですか。自分でも「形ばかりで、何か大事な何かがない」と感じたんじゃないかと。音楽やりたい人が最初にすることって、好きな音楽があって、それを演奏できるようにする事だと思うんですよね。つまり、形から入るわけです。形って馬鹿に出来なくて、最初は形を真似るだけでも大変。高度な技術が必要な音楽であればあるほど、形を真似できずに終わる人が大半になるほどです。でも、好きなジャズを演奏できるようになって、ふと思うところがあったのかも。「今までがむしゃらに好きなジャズを演奏出来るよう練習してきたけど、形が出来るようになってみると、それがなんだ?だからどうした?与えられた形を真似るのが音楽なのか?音楽って、もっと大事な意味があるんじゃないか?」みたいな。
というわけで、ある意味でモダン・ジャズの熱い時代が終わる瞬間の象徴のように聴こえたアルバムでした。ここから先のジャズって、ポピュラー音楽に戻ってしまった感があって、僕は次第に聴かなくなっちゃたんですよね。時代も意味を求めない軽薄な時代になってしまったしね(^^;)。ロイドさんは意味が問われなくなる時代に入っていく中で、意味を探そうともがいて戦った人だったのかも。
- 関連記事
-
スポンサーサイト