
ハンニバル・レクターという天才精神科医で猟奇殺人犯という架空の人物を扱ったシリーズ小説があります。原作はアメリカの小説家トマス・ハリス。僕がレクター博士関係のもので最初に触れたのが、映画化されたこの『羊たちの沈黙』でした。かなり猟奇的な内容なんですが、女の子にこの映画に誘われて観に行ったんですよ。今でも、あの子はこの映画の内容を知って誘ったのかどうか、興味があるところです(^^;)。小説としてはシリーズ2作目で、映画としてはこれが1作目。1991年公開です。
内容は、
若い女性の皮をはぐ連続殺人鬼バッファーロー・ビルの捜査をめぐるものです。
新米女性FBI訓練生のクラリス(ジョディ・フォスター)は、猟奇殺人を犯して監獄に収監されている精神科医レクター(アンソニー・ホプキンス)の天才的な洞察力を借りて、犯人を追います。 見どころのひとつは、わずかな手がかりから犯人像をプロファイルしてしまうレクター博士の見事な推理。天才的な洞察力で犯人をプロファイリングしてしまう推理ものというのは、シャーロック・ホームズ以降の小説や映画の典型ですが、こういうのはいつも「おお~」ってなるので、なんど見ても面白い(^^)。
でもそれだけだったら、こういう映画はゴマンとあったわけで、この映画が独自であったのは、そこに猟奇殺人の異常性やその心理を絡めたところじゃないかと。この映画を皮切りに、アメリカでは天才的プロファイリング&異常心理を持った猟奇殺人犯という組み合わせの映画やテレビドラマがひとつのジャンルになるぐらいまで増えた気がします。「FBI科学捜査ファイル」とか「プロファイラー犯罪心理分析官」とか、今ではこういうのはゴマンとある感じ。そのスタートとなった大ヒットが、この映画だったんじゃないかと。この映画、アカデミー賞で色々と受賞してたと思います。
ただ、なんというか…警官の顔の皮をはいでそれを自分の顔に被せるとか、警官を十字架にかけるような絵的な事情を考えた殺し方とか、実際の連続殺人よりも博士の異常さを見せることばかりに専念してしまって、当の猟奇殺人犯自体の心理の掘り下げが浅いと感じてしまいました。同じ異常者を扱うのでも、「ダーティー・ハリ―」みたいにそれを打ち破る無頼漢のカッコよさを描くというならそれでいいと思うんですが、「この人はこういう心理だからこういう事をして、こういう手がかりがあるからこのへんにいる人で…」みたいに、理詰めのすごさを見どころにしてるのに、当の犯人の心理や行動の説明がテキトーというのは、なんだかなあ…と思ってしまいました。
一緒に映画を観た女の子は、「警官が死ぬところ、すごくきれいだったね」とか、やたらと感動してました。人を食う映画の後で「焼肉いこう!」とか言ってるし、僕的にはレクターよりもその子の方がすごいと思ってしまいました(。・ω・)。あの子、元気にしてるかなあ。
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