
同じく、クラシックから現代音楽へと時代が移っていく瞬間に生まれた素晴らしい音楽です。これほどの音楽があまり広く知られていないように思われるのは、本当に信じられない。僕としては、マルタンの音楽は、
ベートーヴェンや
モーツァルトよりもはるかに好きな音楽です。それは、ジャズもロックも民族音楽も片っ端から聴くことが出来るという現代だからそう感じるんでしょうね。古典と現代をひっくるめて、双方の良さを生かしたまま次の音楽を作れ、というお題が出たら、こういう音楽になるのではないかと。
マルタンという作曲家は、スイス生まれで、大学では数学と物理学を専攻。音楽を聴くに、
バッハから新古典という所に根差しながら、その先にある12音音楽にもひかれた、という感じなんじゃないかと。で、マルタンが何をやったかというと、新しい音楽語法に飛びついて古いものを捨てるのでもなく、古い音楽に固執して新しい音楽に目をつぶるわけでもなく、その双方を活かし切ったんじゃないかと。もう、こういうセンスを持っている時点で、勝ちは決まったようなものだと思います。
はじめてマルタンの「小協奏交響曲」という音楽を聴いた時、釘付けになってしまいました。「うおおっ!」って盛り上がるのではなく、1音1音に息をのむような感じ。短調系の暗い響きを持ちながら、非常に現代的という独特な色彩感を持つ響きの上を、12音音楽ような動きを見せる旋律が音楽を動かしていく。コントラバスが「ズーン」とアルコを重ねていく最初の瞬間の鳥肌の立つような感覚。最初の独奏楽器であるチェンバロがあらわれた瞬間のあの感覚も、この音楽以外では体験した事のない、古さと新しさが同居しているような、感動と不安が同時にあらわれているような、唯一無比の感覚でした。
きっと、音楽そのものから離れて何かを紹介する時って、極端なものが目立ちやすくなると思うんです。「バロックの極み」とか「最先端」とか「ジャズそのもの」とか「これぞロック」とか。あるいは「演奏ナンバーワン」とか「作曲ナンバーワン」とか。でも、本当に良いものって、そういう局所的に優れたものではなくって、全体のバランスがいいものだと思うんですよ。演奏ナンバーワンでダメな曲よりも、あるいは演奏ダメで良い曲よりも、ナンバーワンでなくてもどちらも良いものの方が圧倒的に良いに決まってると思いませんか?少なくとも音楽に関して、僕はそう思います。現代音楽というと、音が一度も出て来ない曲とか、無調の極みとかが、言葉の上では目立ってしまう。逆にクラシックというと、「あの調整の感じがないとクラシックじゃない」とか、なんか恐ろしく理解力のないところに行ってしまったり。でも、本当に良いものは、その双方をひっくるめて超えていくところにあるんじゃないかと。近現代で最も良い音楽というのは、最初から最後までノイズまみれの音楽でも、既に何万回も焼き直しされ続けた音楽の繰り返しでもないと面んですよ。近現代には、相克しているがゆえに目立たなくなってしまったが、しかし相克しているがゆえに最も素晴らしい音楽に辿り着いたという音楽家や音楽が、数多く眠っていると思うのです。マルタンの"petite symphonie concertante" などを聴くと、ものすごい感動と同時に、そういう事を考えさせられてしまいます。
あ、そうそう、このCDは2枚組で、他にも"concerto for 7 wind instruments"とか"violin concerto"とか、マルタンのオーケストラ曲が満載です。で、よくぞここまで素晴らしい曲を書いてくれました、と思わされる作品が多かったです。僕はこの作曲家を知ることが出来て、本当に良かったです。あの時、もし何気なくテレビをつけていなかったら(^^;)。。
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