
メンデルスゾーンは19世紀のドイツ・ロマン派ど真ん中の作曲家です。代表作と言って僕が思いつくのは、結婚行進曲を含む劇音楽「夏の夜の夢」、ヴァイオリン協奏曲、そして交響曲4番「イタリア」の3つぐらいです。そのうち2つが入ってるこういうCDは、かなり有り難い(^^;)。
メンデルスゾーンさんって、天才的な音楽力を持っていたそうです。一回聴いた音楽は内声を取り違える事もなく完璧に記憶し、一度見た楽譜はもう楽譜を見ずとも演奏してしまう…
モーツァルトも似たような伝説を持ってますし、現代でもそういう人はたまにあらわれます。そういう天才って、どういう頭の構造してるんでしょうか。思うに、自分の中にきっちりした音楽のフォーマットがあって、その型に嵌めて音楽を記憶してるんじゃないかと。プロの将棋指しも、自分が指した将棋を完璧に覚えていて、終わった後も途中の盤面図を完璧に再現しちゃったりするじゃないですか。あれ、渡辺竜王が言ってましたが、「プロ同士だとほぼ定跡に沿って指していくから目隠し将棋できる。でも、アマチュアとやると、はやい段階からめちゃくちゃな手を指してくるから覚えてられない」んだそうです。モーツァルトやメンデルスゾーンさんもそういう感じの「様式化された記憶の仕方」を持っているのであって、他の人と違う圧倒的な記憶量を持っているとか、他の人では聴き分けられない周波数の音がきこえるとか、そういうんじゃない気がします。だって、短期記憶にしても長期記憶にしても、そういう何らかの情報の圧縮方法を持ってなかったら、1音1音をバラバラに全部覚えるなんて不可能ですよね。
なんでこんな話をしたかというと、メンデルスゾーンの音楽って、メンデルスゾーンさんのこういう天才と無関係じゃない気がするんです。メンデルスゾーンさんの音楽って、保守的で型に嵌まって聴こえるんです。なんでそうなるかというと、メンデルスゾーンさんにとっての音楽は、「テーマがあって、音は3度に積む以外にはありえないもので、和声はドミナントを軸に機能化されているもので…」以外にはありえないものだったんじゃないかと。つまるところ、「夏の夜の夢」の序曲も結婚行進曲も、有名なシンフォニー4番「イタリア」の第1楽章も、そういう音楽なのです。ここは主題変奏、ここは再現部…というのが、ものすごくはっきりしてるんですよね。音もそうで、非常に複雑な和声や構造というのはなくって、ここはドミナント、ここはトニック…みたいにえらくはっきりしてます。
というわけで、ロマン派的な音楽の典型中の典型で、冒険もないのでいつ聴いても安心して聴いていられるかわりに、刺激が少なすぎてもの足りなくも感じる音楽でした(^^;)。それにしてもライブ演奏でこのクオリティか、昔のベルリンフィルって本当にすごいです。フルトヴェングラーの時はさらにすごかったんだから、やっぱり別格だと感じました!
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