
フラメンコ的な凄さって、昔の大御所の方がその本質を捉えている気がします。でもだからといって、新しい世代の人のフラメンコ・ギターがダメかというと、そうとも思いません。パコ・デ・ルシアは5枚も6枚も聴いて全部ダメだったので諦めましたが。。で、かなり若い世代でいうと、このVICENTE AMIGO という人のギターは、すごく格好良かったです。
あくまで歌とバイレがフラメンコの中心にある重要である事がその理由かと思うのですが、フラメンコのギターが新作をジャンジャン作るというわけにはいかないんじゃないかと。フラメンコの曲種って、ソレアとかファンダンゴとか決まってるんですよね。例えば、ソレアだったらリズム(フラメンコではコンパスというそうです)はこうで楽曲構造はこうでスケールはこう…って感じで決まってる。バイレ(バレエ)からすれば、いかにフラメンコのあの情熱的なところに入っていくかが重要なんであって、ギターの新作なんて望んでもいないし、またコンパスを変えられるのなんてむしろ弊害ですらあるんじゃないかと。これがフラメンコの曲種がずっと固定されたままである理由なんじゃないかと。だから、オーソドックスなフラメンコのCDを買うと、プレイヤーこそ違うものの、演奏している曲はみんな同じです。アドリブの要素が少なからずある音楽ではあるので、それでも楽しめるんですが。。これが、若い世代になると、フラメンコギター独奏というジャンルがだんだん開拓されていって、またそれがジャズとかクラシックなんかの他の音楽の影響も受けたりして、独立した器楽音楽という側面が出てきます。こうなると、だんだん「フラメンコ的」なものからは離れていく事になるわけですが…いや、それはそれで良い事なんだと思います。
で、そうしたフラメンコの新しい局面を見事に音楽に反映させているひとりが、このビセンテ・アミーゴという人だと思います。純粋フラメンコをやっているCDとしては、彼のデビュー作があるのですが、例によって古典フラメンコの、知っている曲種ばかり。いや、フラメンコ右派の人は、これを望んでいるんでしょうが…。それに対比するように、このCDは、古典曲にエレキベースやカホンを入れて編成してみたり、フラメンコ的なアイデンティティを保ちながら他の音楽の要素を取り入れた、という感じです。ベースや打楽器を入れると、リズム部分は他に任せられるので、ギターは各パッセージごを弾き切る事に集中できるという長所が出たんじゃないかと。1小節とか2小節ぐらいで作られているそれぞれのパッセージの切れ味と言ったらありません。
他にも、古典フラメンコから外れながらも、スケールなんかにフラメンコの香りを残している曲とか、色々なアプローチを楽しむ事が出来ます。フラメンコが伝統音楽化して形骸化してしまわないために、こういう挑戦を続けるラインというものも必要なんじゃないかと思わされます。ことヴィセンテ・アミーゴに関しては、古典をやるよりもこういうフュージョン的なアプローチをしたパフォーマンスの方が、なんだか似合っている気がします。
…う~ん、なんかエラそうな文章になってしまいましたが、フュージョン的なアプローチが良い方に出た、素晴らしい音楽だと思います。これは、ソニーというメジャーレコード会社と契約したからこそ出来た音楽なのかもしれませんね。小さなレーベルでは、こういう音楽を作るだけの金銭的な体力はないでしょうから。しかし、ジャケット写真、いい目をしているなあ。
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