
1960年12月21日録音(62年リリース)、
エリック・ドルフィー3作目のリーダー・アルバムです。ドルフィーの最初の3つのアルバムは、すべてNew Jazz というレーベル(プレスティッジの子会社というか、内部レーベルみたいなものだったそうです)からのリリース。60年、61年、62年と毎年1枚のペースでのリリースでしたが、録音は3作とも1960年なんですね。
初期3つのアルバムの共通項は、常にサブ・リーダー級の有力な共演者がいる事。1作目『Outward Bound』では
フレディ・ハバード、2作目『Out There』はロン・カーター、そしてこの3作目は
ブッカー・リトルです。ご存じの通り、ブッカー・リトルとドルフィーは、翌71年に
双頭バンドを結成してアルバムも残したぐらいなので、馬があったんでしょうね。メンバーは、ドルフィー (a.sax, b-cl, fl)、ブッカー・リトル (tp)、
ジャキ・バイアード (p)、ロン・カーター (b)、ロイ・ヘインズ (dr)。
このアルバム、
自分のルーツとなった40~50年代のジャズや、先達となったジャズ・ミュージシャンへのリスペクトを込めて作られたものなのかも知れない、と感じました。アルバムの最初の2曲(どちらもバイアードさん作曲)は、どちらの曲もタイトルに
チャーリー・パーカーの名前が入ってます。サイドB の先頭は、マル・ウォルドロンがビリー・ホリデイのために書き下ろした「レフト・アローン」です。アルバム全体も、同じレーベルのニュー・ジャズから出した『アウトワード・バウンド』や『アウト・ゼア』ほどの先鋭的な雰囲気のあるものは少なく、むしろ「古き良きジャズ」的な音楽の方が目立ってました。ドルフィー自身が作曲した「Serene」ですら、「古き良き」って感じなんですよね(^^)。若い頃の僕は、ドルフィーの音楽や演奏に、独特な芸術性を感じていたもので、あんまりオーソドックスなジャズを演奏する時のドルフィーって好みではなかったんですが、いやいやドルフィー自身がジャズに対する愛に溢れていた人だったんでしょうね。
とはいえ、たとえばこのアルバムが懐古主義一辺倒だとか、ドルフィーがバードの完全なフォロワーかというと、それだけで終わるタマではもちろんありませんでした。テーマにしてもアドリブにしても、とんでもないスピード感なだけでなく、ドルフィー的なエキセントリックな部分もかなり見えたり。
1曲目"Mrs. Parker of K.C. (Bird's Mother)" も、アルバムタイトルになった”Far Cry” も、ちょっとグロテスクなテーマを持ったハードバップなんですよね。このへんは、バップ系の音楽でありつつ、そのなかで創造力を発揮していくという、60年代のドルフィーの音楽と感じました。
しかしドルフィーもリトルも、アドリブがすごすぎるんですけど…。 個人的に、このアルバムで
強烈な感銘を受けたのが、スタンダード・ナンバー「テンダリー」の、アルト・サックス無伴奏アドリブ。ドルフィーの音楽がここからどう発展していくのかが、あらわれていたと思います。ドルフィーの演奏で私の一番好きな、アルバム【
アザー・アスペクツ】に入っていた無伴奏フルートと同じリハーモニゼーションのアイデアを使ってるんですよね。実際にどういうハーモニゼーションを選択するかの違いはあれど、やり口自体は確かにチャーリー・パーカー的。こういう演奏だから、短音の旋律楽器を吹いているというのに、和声を強く感じます。
そして…今回、学生の頃に大熱狂して買いまくりすぎたエリック・ドルフィーの録音を整理するために、持っているレコードをすべて書きだして、それを発売順ではなく録音日順に並べ直してみたんです。驚いた事に
、このレコードって、録音日がオーネット・コールマン『Free Jazz』と同じ日なんですよ!ドルフィーって、オーネット・コールマンのあのセッションにも参加していたじゃないですか。スタジオ・ミュージシャンのツープロは普通にある事ですが、リーダー作の録音日に他の録音も一緒にやるって…いやあ、ここまで働き詰めだったのがドルフィーの死期をはやめてしまったんじゃないのかなあ…。
ドルフィーが生前にリリースしたリーダー・アルバムは、ブッカー・リトルとの双頭コンボも含めて6作。うち5作がニュー・ジャズ、またはその親会社のプレスティッジからのリリースで、どれもかなりバップ寄りの音楽。僕がドルフィーに対して感じているイメージは、これらの音楽とはちょっと違うんですが、でもメインストリームなジャズの愛好家さんからすれば、先鋭化した頃の音楽より、これぐらいの音楽の方が親しみやすいのかも知れません。だって、1960年といえば、コルトレーンばまだ『
My Favorite Things』、マイルスは『
Kind Of Blue』の翌年という時期。それを考えると、ドルフィーにとっては保守な時期だったかも知れないけど、ジャズという視点で見れば充分に先鋭的な音楽だったのかも。